同人道(その11)
・2003年(平成15年)・その3


・11/5:エロと商業化傾向
 最近、同人の世界にも商業化の波が押し寄せてきている。
 かつては、売れる売れないはイベントでの結果、および通販で全てが賄われてきた。
 しかし近年、同人といえば「ショップ委託販売」の比率が急激に高まってきている。
 「同人誌とはショップで買うもの」という感覚が最近の読み手に刷り込まれているためか、イベントでも「客」であるかのような態度を見せる一般参加者は少なくないと聞く(幸いにして、うちはまだそういったトラブル事例はない)。
 具体的にどう、というのは特に多い例があるわけではないらしいが、「俺は客だ、買ってやるから有難く思え」というような態度がみられる、というのも聞いたことはある。ただ、これは大手の事例らしい。限定販売本が手に入らないからといって、「買いたいんだからもっと刷っとけ、増刷しろ」という主張を押し付けることもあるようだ。
 ……そこらが、「客」と「一般参加者」の意識の違いなのだろうか。
 イベントというのは、確かにやっていることは商売の原則そのものだ。ただし、通常の商売と違うのは、「あくまで利益追求のためのものではなく、アマチュアの集会である」という点である。
 「アマチュアの集まり」という呪文を唱えると、あら不思議、そこで行われている商取引は通常、商法の適用対象外になるのである。
 つまり、ここで行われる取引は全て、商法での取引ではなく、「個人売買」ということになる。
 個人売買で、土地家屋とか証券とか車とか、名義登録が必要なものではないので、その場で現金決済、消費税もなしで所有権が譲渡される。
 まあこの個人取引に関しては、それに関する法令があったはずなのでそれを参照するとして、問題はその法的な問題ではなく、参加者の意識の問題なのである。

 イベントというのは、そのほとんどは「描き手と読み手が共に協力して作り上げるコミュニケーションの場」という定義で動いている。
 その「協力」というのが、最近はどーも崩れているのようだと、イベント関係者も感じているようである。
 簡単に言うと、「モラル低下」である。

 イベントでは、様々な問題が渦巻く。特に、会場特有の問題は大きい。
 徹夜、通路に座り込む、この二つはイベント関係者には昔から頭痛の種である。つまり、元よりモラル低下はイベンターには頭を抱えていた。
 ここらはもう社会常識として行動すべきところであって、イベンターが対処どうこうのレベルではない。主催者が対処するのは、継続して会場が借りられなくなる可能性があるからである。
 特に徹夜は、警察も絡んでくる問題でもあり、社会的に悪評が立つ可能性もある(すでに近辺では立っているが)。
 ――これが「客」ならば、店はなんとか対処することもできる。整理券を渡して順番を確保し、一度その場を離れてもらうこともできる。
 だが、イベントは商売ではない。開催時間より前に来ることは「禁止」されており、整理券なども出してはいない。一般参加者は「お客様」ではなく、「イベントに参加する一般参加者」であって、イベント自体はあくまで「1対1」の個人取引の集合体である。
 そこが、事業者のイベントと「アマチュアイベント」の違いであろうか。入場料を取るとはいっても、それは利益を出すために取るのではなく、会場を借り、整え、カタログを出すためのほぼ実費に近い(もっとも、コミケやシティなどは、有限会社管理で利益を出すようにはなっているが、イベント内容は建前上アマチュアイベントの開催である)。
 事業者であれば、警備員を配置するなど効率的な運営もできようし、それをイベント入場料に転嫁することも不可能ではない(もちろん反発も予想される)。

 で、話は変わって「エロ規制」のこと。
 これを規制することに、どういった意味があるのか。そこらが私は知りたい。
 そこらの規制の理由というのは、政府レベルで言わせれば「社会的なモラルの規制」であるというが、今の日本を見て、「その結果がこれだ」として、さらなる規制強化をもくろんでいる。
 ……そんな規制強化に何の効果もないことは、規制する側もされる側も承知の上だ。
 だが、それでも規制は強化されようとするし、国民は必死で反対する。
 国民からすれば、規制は緩いほど良い。自由度が増えるからだ。
 だが国家からすれば、規制は多いほどいい。国民の統制が簡単になるからだ。
 しかし、完全統制された国家は、国家として発展しない。つまり、「社会主義は失敗する」ということである。
 国民全員が鉄の意志で国家を支えていこうと思っているのならともかく、そんな国は未だかつて存在したことはないし、これからも未来永劫発生もしない。
 「じゃあ中国や北朝鮮はどうなんだ?」――北朝鮮は言うに及ばない。あれのどこが成功した国家だ?
 中国は確かに経済成長著しいが、あれは社会主義を崩して資本主義原理を導入したから発展したのであって、その意味では統制国家ではない。「経済自由主義の軍門に下った」と言い換えてもいい。
 つまり、統制が強まれば強まるほど、国家は活気を失い、衰退していく。ソ連が崩壊して、ロシアや幾多の国家になったが、その大半はソ連時代よりも状況は良くなっている。ただし、出遅れた分、日本やアメリカ、西欧諸国の経済レベルに追いつくのは容易ではない。国民所得のレベルでは、まだまだ一桁違う。バルト三国は近年やっとEU加盟を果たしたが、お仲間の先進諸国(といわれる国々)に追いつくのはまだ先の話だ。

 ……逸れたので戻すと。
 統制を強化したところで、アングラは必ず存在する。特に、人間の一次本能である性欲に関わるとなると、どれだけ規制してもムダなのだ。
 韓国を見れば判るのだが、通常のエロ規制の厳しさは並ではない。儒教国家だからそういった点には非常に厳しいこともあり、日本ならどうということはない雑誌の水着グラビアですら「社会モラルを低下させる」などと言われるほどだ。ヘアヌードなんて夢また夢である。しかし、ネットが浸透した今、そこらはネットを通していくらでも入ってくる。また、アングラ市場は十分に存在し、そちらからどうとでも手に入る。
 戦後、国家やGHQによる統制とは別にヤミ市場が存在したように、全ての国民に法の監視が行き届かない限り完全な統制はありえないし、多分SF(「マトリックス」でも可)に描かれるような、全ての市民が完全な管理下にない限り、それは不可能なことである。
 その不可能なことを強制するのは、結局反発を強め、アングラの重要性を増すだけであり、社会的にはさほど利益があるとは思えない、むしろ、経済的には不利益の方が大きかろう。
 それでもやるのは、政治屋が自身の票のためにやっているだけである。そんな政治屋に簡単に騙される国民は勝手に騙されていればいいが、それが支持した人間だけにとどまればともかく、支持してもいない方にもとばっちりがくるのだけは勘弁してもらいたいものだ。
 特に俺、自民のやり方はほぼ全面的に反対だから。今まで積み重ねてきた悪癖を一掃するには、自民政権を完全にブチ壊すしかない。年金や税金、規制など諸々含めて自民はほぼ政治中枢に居座りつづけ、その結果が今の日本であるということを、国民は知っておかなくてはならない。
 特に、自民にはエロ規制に積極的なのが多数いるので、エロ規制反対なら自民を支持してはいけないのである。
 まあそんなこと言っても、このご時世、バカが増えちゃったからね……単純に「今自分に関係ないから」って自民に適当に投票したり、投票にも行かなかったり。そんなバカは将来年金もらえなかったり、消費税が上がって生活できなくなっても文句言うな。
 俺は支持してないからケチつけまくるぞー。


・2004年(平成16年)・その1

・2/10:同人作家のモラル

 さて、新年一発目である。相当すっとばしたな。
 なので、アフターコミケレポートも含めてちょいと。

 まず、年末のコミケから話を始めよう。
 上で「一般参加者のモラル」について触れたが、これは同時にサークルサイドの意識をも変えてしまう。
 サークルにも「利益優先体質」を作ってしまうという裏面があるということである。
 で、年末のコミケ、私も三日目に出陣した。島の端の方(お誕生日席ではなく、そのすぐ横のニ-10a)だったので、席としてはいいところだ。
 その日は珍しく朝早く出て、余裕を持って準備を終えた。コピー誌はまだ製本が残ってはいたが、それも多少作ってあるので、始まってから作っても大丈夫だろうと見込む。事前のあいさつ回りすら余裕を持って行けたぐらいだ。
 いつものことながら、スタート直後はほとんどが大手に並ぶ。ゆえに、本格的に目の前が流れ出すのは、いつも30分ほど経過してからだ。俺の一般時代は壁なんか後回しにして島を先に回ったものだが……その方が変かw。
 さてさて、そうこうしていると壁詣でを終えた一般が流れてきて、少しずつ品が出るようになる。が、そのあたりから状況がちょっとおかしくなる。
 列が出来てる……うちに並んでるわけじゃない。誕生日席のが曲がってこっちにきてるのだ。
 おいおい、勘弁せぇよ――ふっとそのサークルを見ると、必死でペラ本を製本中だ。だが、製本に必死で、列は並ぶに任せているように見える。この時点で、「お前らちっとは列の整理とか責任持ってやれよ」とすでに思っている。が、列も十数人なので、すぐに消えるだろうと思っていた。
 そのうち、スタッフがやってきて列の整理を始めた。しかし、相変わらず製本継続中で、頒布を始めない。まさかてめえら、全部製本終わるまで売り出さないつもりか? 列が出来て通路塞いでんだよ。出来た分から出してけ!
 列がのびていく……すでに島の半ば向こうまで伸びている。スタッフが「通路の真中にずれてくださいー」と声をかけ、列が中央へ寄る。そのスタッフが、詫びを入れてきた。まあ、多少列ができるのは致し方あるまい、とそこで少し気を取り直す。
 が、列が進むと、またこっちへ寄ってくる……スタッフが時折中央へ寄せるが、次々並ぶ連中が流れに端へ寄せられる。
 ――都合1時間弱、そういう状況が続いた。その間、背後は依然製本を二人、売り子が一人……バカ。そういうときは売り子を二人にしてとっとと列を捌け。しかも、製本が終わると、一人は自分のサークルへ戻っていってしまった……実質二人かよ。
 結局そのサークルは、新刊らしきそれが完売すると、一息ついたようで時折やってくる知り合いなどとだべったりしていたが……

 お前ら、なんか忘れてねえか?

 多数のサークルに迷惑かけといても、自分とこの売上がよかったからバンザイ良かったね、か?
 関係ないスタッフには謝らせて、自分たちはバックレてそれでOKか?

 ふざけんじゃねぇぞ、このカス人間が。

 事前に列が出来る事は予想できただろ? だったらなんで製本してない? なんで列整理人員を用意してない? 列を捌く準備を何一つしてないんだ?
 予想外の列が出来たんなら、多少は仕方なかろう。だが、予想される列を捌けないのは、明らかにサークル側のミスであり、準備不足である。
 しかも、それで俺だけじゃなく、俺の並びの多数のサークルにも同じように迷惑をかけておいて、当の本人たちは詫びの一つも入れにこない。
 お前ら、ここへ商売しに来たのか? だったら企業ブースへ出展しろよ。でなきゃあ、アマチュアイベントになんか出ないで、書店卸と通販だけやってりゃいいだろ?
 わざわざ他人の邪魔してまで売上がほしいのか?

 ……まあ、この程度なら、コミケの事件としてはまだマシな方なのだろう。実質的な物損が出ているわけではないから。いや、物損が出なきゃいいというものではない。「マシである」というだけで、ロクでもない連中であることには変わりはない。
 もっともひどかったのは、63か64あたりで起きた、西館の「CUT A DASH」の列がやった「島破壊事件」であろう。実際にスペースを不在の間に壊され、破壊した列の当事者はトンズラこいて、犯人不明で被害サークルも泣き寝入り状態……南無。
 これに関しても、確かにやったのは並んでいた連中なのだが、「CUT A DASH」の連中も一言挨拶に行っときゃあカドも立たねーのに、「自分たちは関係ない」みたいな態度だから、余計に逆撫でするのだ。

 大体、売れている大手・準大手サークルの連中は、本を売ること以外にあまり関心を向けてないよう見受けられる。実際は他を見ていられないだけかもしれないが、それにしたって、列を完全に制御しろと言っても無理とはいえ、自分の列が引き起こした無礼で被害を受けたサークルがあるなら、一言ぐらい詫び入れるのが「人として当たり前」なんじゃないのか?
 「そんなことまでやってらんねぇ」とか思うかも知れないし、「うちに並んだ列はうちの関係者じゃないし、そいつらがやったことまで責任は負えないし負う気もない」という言い分もわからないではない。
 だが、そういうセリフをどこかで聞いたことはないか?
 ――ニュースで、たまに耳にする政治家の言い訳答弁や、訴えられた企業の反論コメントと似てはいないか?
 自分の責任逃れのために「関係ない」と言い張るあのコメントと、性質は同じなのだ。
 確かに、正確なところ、列に並んだ連中が起こしたことには、「CUT A DASH」は責任を負う必要はない。しかし、じゃあその列を作らせたのは誰だ?ということになったら、全く責任がないわけではない。もとより、それだけの混雑も予想できたわけで、最悪こういった事件が起きるとも予想できるのも事実である。
 だったら、最初からそのための準備をする義務が、サークルにはあるのではないか?
 スタッフはあくまで準備会が会場整理のために集めたスタッフで、サークルの雇われ売り子ではない。そこに完璧を求めても詮無いことであるし、サークルとしては規模に応じて体勢を整えておくぐらいのことはすべきであろう。
 また、やはりサークルが原因で起こった事態に関しても、実質の責任は負わないにしても、一言挨拶をしておけばそれだけで円満に遺恨を残さないで済む場合も多い。
 ――そういうちょっとしたアフターフォローができるとできないとでは、そのサークルに対する心象は格段に違う。
 もちろん、こういった「やりっぱなし」は一番嫌われる。
 「あのサークルは、作品は萌えるが作者は最低な奴だ」と陰口を叩かれるようになったら、人間としては最悪だろうな――と。

 まあ、終わったこととはいえ、こういった事件は反面教師として、自分はこうはなるまい、と心に留め置くことが必要なのだろうと考える次第である。

・3/17:「風の谷のナウシカ」
 先日、「風の谷のナウシカ」を放映していたので、PCで作業しながら、流して見ていた。
 時折、聞き覚えのあるセリフで「ああ、ここらへんか」などとか、同時に「TRICK」で「なんどめだナウシカ」などと習字に書かれてたことを思い出しながらw、途中で作業を切り上げ、テレビの方を見ていたのだが。
 ――何度も見ているのに、今回、なんか印象が違う。
 別に、中身がディレクターズカットとか、そういうものではない。映画全体から受ける印象が、今までと違うのだ。
 前回の再放映から多分1年ぐらいだろうか。まあ、年に一度ぐらいはやってるだろうし、何度も見ているので細かい部分も結構覚えている。なので、安心して見ていられるのは見ていられるのだが……
 なんだか、今回は見ていて気持ち悪いのだ。
 なんだろう?と考えて、最後まで見た後、遅い晩飯を食いながら、原因が判った。

 ナウシカがいい子ちゃん過ぎるからだ。

 うーん、なんてこったい。今まで無意識に見てきたのだが、こんな印象を受けたのは初めてだ。
 ちうか、今まで気付かなかったのか? まあ、ガンシップ襲撃とか巨神兵のとこばっか楽しみしてる人間だからなあ、俺w。

 確かに、よくよく考えれば、そうなのだ。
 ナウシカは、現実にいたら「こいつ完璧超人か?」とか脳内で血管キレそうな自分が呟いていることだろうと想像に難くない、すげー「いい子」なのだ。
 人に慕われ、動物に好かれ、その思想や行動は常に人のため世界のため、異形の生物にも分け隔てなく接することもできる……

 うわぁ気持ち悪ッ。
 よー考えたら、こんな奴、確かにキモチワルいことこの上ないわ。
 宮崎はこんなもん、アニメージュに何年も連載しとったんか……よう描けるな、こんなキモチワルイキャラ。
 ちうか、宮崎キャラの冒険ものの主役って、大体「いい子」だからな。だから「万人向け」であって、ヒネクレ者の俺には合わないんだろうが……

 自分が理想とするタイプは、決してこんな善人じゃない。いや、むしろ善人なんかクソくらえペッペッペみたいな、しかし悪党にはなりきれない、「人間臭い人間」である。目先の欲望にも弱く、決してモテるでもない、ただ他人にはない、ちょっとだけ優れた力や技能がある……そういうのでいいのだ。
 こんな聖人君子のような人間なんか、こちらからお断りだ。第一、人のために生きて人のために死んで、何の得がある?
 昔はあれ見ててもどうってことなかったんだが、やはりここ数年で生活が変わったせいか、ああいう現実には絶対いない聖者のような人間に拒否反応が出てきてるのかも。
 それはナニかな、自分が性格的に薄汚れてきただけなのか、それとも現実的になっただけなのか、そう素直に思う心の余裕がないだけなのか、微妙なところだ。
 しかし、多分これからしばらくは、ナウシカを見ることはなくなるだろう。
 数年先、再びナウシカを見たとき、素直に「面白い」と思うだろうか?
 アニメの質云々を問うなら、ナウシカは優れた作品だとは思うのだが、いかんせん「きれい過ぎるキャラ(作品)」というやつが信じられないというか、見ていて気持ち悪くなってくるというのは、自分が現実を直視し認識しているからだろうか。
 「現実の人間は、こんなに清廉潔白で滅私奉公で完璧で万能でカリスマティックではないぞ」と。

5/1:レヴォは変わったか?
 さて、今年の春レヴォが終わりました。
 前回も春レヴォはビッグサイトだったわけですが、なーんというかねえ、まだ二回目だからだろうか、ビッグサイト開催のレヴォのペースが掴めてないというか。サークル側が特に、BSレヴォの動きが読めてないみたいなんですな。
 うちは今回は新作がコピーしか出せなかったし、前回はちょっと時期ハズレなモノだったもんで、全体に今ひとつな結果だったわけで、まあ仕方ないところはあったんですが、ただ、周囲の反応も、考えてみると同じなんです。
 近隣にはプロっぽい仕事をしている人らも少なくないようで、スペースに知り合いらしい人間が来て話している雑談を聞いていると、どっかで聞いたような名前が色々出てきているわけです。
 そこでまず聞こえるのが、「今日どうです?」とかいう挨拶代わりの一言なんですが、「なんか今日ダメ」という話が毎度出るんですわ。いや、こっちから見てると「それで悪いんか?」みたいなところもあるんですがw、まあそれは弱小零細のひがみとしておいて。
 まあ近隣だけなら、「今日はこの島の出が良くないんかな」とは思うんですが、先回に続いて今日もまた同じことが聞こえるのと、帰りがけに別の島のお誕生日席のサークルが「なんか今日良くなかったなー」みたいなことを話しているのを聞くと、なんかここでのレヴォは全体に活気があるのかないのか解らんのですな。
 去年の春レヴォの件は色々、会場の広さ構造とか収容サークル数とか自分なりに分析してみたりしたんですが、どーもそういうこと以外に何かまだありそうな気がしてならんのです。
 まあ私はイベント分析家とか評論家ではないのですが、それでも同人歴は一般含めれば結構長いわけで、初めてイベント出た高校のときから考えれば……まあ、それはさておきw
 帰りの打ち上げで一つ話していて気付いたのが、会場の広さというか、密度の問題。サンシャインだと、明らかに天上が低いです。また、エロの間では、とんでもない人の密度になります。で、「あれだけ狭い空間にすし詰めで人間がなだれこんでくれば、そりゃあ酸欠とか欲とかで正常な判断もできなくて、買うはずでなかった本も買ってしまう」のではないか、というという意見があったわけです。
 なるほど……活気ある中小イベントというのは、だだっぴろいところでやればいいというものではない、ということですな。狭いところならではのメリットというのもあると。
 そういえば、よく考えてみると、サンシャインのレヴォではホールによって活気が違うところがあります。
 文化2Fのエロの間は言うまでもなく、Aホールも萌えキャラの集まりなわけで、大手もいるし、そりゃまあ密度はイヤでも上がるわけです。
 が、本部の置かれる文化4Fだけはちょっと様相が違って、最初のラッシュが過ぎると急に平和な感じになるということを聞いています。
 そういえば、文化4Fだけは天上が高く、喫煙所があったり色紙が張り出されることもあって、むしろ中より入り口外側の方が密度が高くなることもあるわけで、比較してみると、Aホールも文化2Fも、天上が低かったり柱が多かったり、非常に「狭く」感じるんですな。
 レヴォがこの狭いサンシャインで、もう十数年に渡ってこういったイベントを重ねてきているところで、急にだだっぴろいBSでやるということになると、やっぱり参加者側も印象が非常に変わるんじゃないでしょうか。
 サークル側から見ると、目の前に見えるサークルとの距離はあまり変わらないわけで、違うのは天井の高さぐらい。まあ、人が増えても「空気がぬるんで」きたり「なんとなく酸臭」を帯びるwこともなくなるというのは、空気の流れや季節的なものもあるんではないでしょうか。

 そういえば、過去のイベントでも思い当たる部分というのはあるんです。
 例えば都産貿。結構狭いようで広い。パソケットをやっていた昔はすごく狭かったような印象があるのですが、今行ってみると、これがなんとも広く感じるのです。
 パソケットもかつて文具会館でやっていた頃にはえらく活気あるイベントだったんですが、都参謀でSPイベントを行うようになってからしばらくして、どんどん下火になってついには消えてしまいました。なんでだろう。あの頃には、誰もがパソコンを持つようになって、誰もがCD-Rを焼けるようになり、タブレットとかフルカラー環境とかが手軽に実現できていったはずなのに。本当に今もって謎ですわ。

 うーん、これはちょっと面白くなってきたような気がする。
 いえね、私も色々人間の無意識の心理とかを利用してディスプレイとかやってみようと思っているんですが、ちょっと現場に行くときにはそれどころではなくなったりしているもので、実際にはやれてないんですが、キッチリやればある程度周囲よりアトラクティブなスペース構築が可能であるとは思えるわけです。
 まあ理論倒れになる前に色々実験して、実践的でなくてはいかんのだし、それより以前に絵の腕磨けって話もないではないですがw
 もし上手い事いったら、この理論まとめて本にして出してみよかな。サークルには結構受けるんじゃないかと思うんですけど、そんなので売れるようになれば苦労はしない、と。
 まあ、今ひとつ何かが足りない、というところにはステップアップの助けにはなるかもしれません。

 偉そうなこと言う前にお前がステップアップしろよ。

 まだまだ続くよ。


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