同人道(その7)
・2002年(平成14年)・その1

・1/22
 さてさて、間があいてしまったが、冬コミも終わり、ついでに新年一発目のサンクリまで終わってしまったが、新年最初の同人道である。
 まあ年頭の挨拶もなにもあったもんではない。去年からの続きをやってきましょ、というだけのこと。
 そりゃーもちろん、同じことやってても仕方ないんで、新しいことをやろうと思ってはいる。
 その第一弾が、1/20のサンクリで出した「BUD TASTE」である。
 こいつは同じ舞台で9人を集めて完成、というもの。続編はパラパラと何度かに分けて、来年度いっぱいぐらいかけてやっていく予定。もちろんこれ以外にも色々やらねばならんことがあるので、来年度いっぱいで終わるかどうかも定かではないので、あくまで予定。

 まずは「グラップラー真牙」2は確実に年前半には出したい。後半には3を出して、早いとこ本編へ入りたいところだ。未だイントロだもんな。なんじゃそら。
 んで、「BUD TASTE」も全員揃える予定。今回の3人イッキは結構ツラいが、このくらいボリュームがないと、最近は買い手も納得しないっつーか、だったらもっと質上げろよってことで(苦笑)。
 とはいえ、新テク修得へむけてちと修行中でもあり、CGの質向上は確実にしたいと思っている。筋トレと同じで、効果が確実に出るのは4月以降ではなかろうか。

 そこからが、本当の勝負かもしれない。
 今までは「これをどうやってたんだ」という点が多々あった。その一つが、ようやく解決しようとしている。しかも、私にとっては非常に大きな一歩だ。
 なんか去年はえらく勢いづいてたことを書き述べたりもしたが、やはり人間謙虚でなくてはいかんのか、それとも風呂敷は広げすぎないことなのか(笑)、ホラも大概にせえっちゅーことか、何にせよ、大口叩くからには根拠レスはダメってこってす。にゅう。

 えー、皆さんに一つご忠告申し上げる。
 漫画系絵描きを目指すなら、あんまり格闘技はやらん方がよろしい。特に拳の鍛錬はよくない。
 私は、空手家のようにタコが出来るほど鍛えているわけではないが、それでも一時期は瓦の何枚か割れるぐらいには鍛えてきた。拳立て伏せも、調子がいいときには150回ぐらいまではこなした。今では見る影もないが、それでもカツアゲ小僧を返り討ちにするぐらいの用意はある(不思議なことに、自信がつくと、そういう連中は寄ってこなくなる)。
 しかし、その反動か、時折線のコントロールが上手くいかない時期があった。拳が硬くなり、繊細な線が描けなくなってしまうのだ。
 特に空手に代表される打撃格闘技は、まず拳をある程度鍛える。骨法のような開手打撃のみ、というものは除外するとしても、中国武術でも、テコンドーでも拳は鍛える。
 それによって、自身の打撃力の増大、拳の耐久力、殴った瞬間の痛覚抑制を狙うのだが、これがまた拳を痛めたときに、何も出来なくなる可能性もある。
 特に、人は無意識に利き腕を重点的に鍛えてしまう。パンチでも、利き腕は必殺打撃のために鍛えられる。
 イコール、利き手を痛めやすく、そこで絵描きという作業自体には支障が出てくる。
 それだけならいいが、拳が鍛えられて、打撃によって痛覚が鈍くなってくると、今度はそのために手の動きの繊細さが失われてくるのである。
 こりゃー困る。非常に困る。
 つーこともあって、私は今では、威力を保つ以上の拳の鍛錬はしなくなった。
 よく考えれば、私は格闘技者ではなく、護身のために技を身に付けてきたのだ。要は、空手家のように瓦を叩き割ったりバットをへし折ったりする必要はなく、人間を殴って拳が壊れなければいいのだ。
 とはいえ、殴る位置を間違えれば、複雑に小さな骨が入り組んだ手のこと、簡単に故障する。その故障を防ぐ程度に鍛えられていれば十分、という結論に達し、あとは「身体が自由に動くか」を維持するだけに止めることにしている。

 同人漫画で格闘技にお目にかかることはあまりない。同人ネタとしては格闘漫画のパロディでお目にかかる程度で、エロが勢力の半分以上を占めるこの世界では、格闘ゲームのキャラが「それっぽいこと」をする以上でもない。
 であるからして、同人界で「格闘エロ漫画」なんて描いてどないすんねん、という向きもあるが、まあこれも私の「やってみたい創作」の一つの形なのである。
 小説という形もあるのだが、格闘小説は難しい。特に、腕がどーのこーの脚がどーたらこーたら、関節が云々とゆー描写は、解らない相手には全く解らない。知識として知っていても、頭に思い浮かばなければしかたない。つまり、結構相手を選ぶのではないかと思うのだ。
 だったら、見て解る漫画でやればいいだけのこと。せっかくそういう技術を体得したのだから、やれる時にやらねばもったいない。
 もちろん、やるからにはそれなりの画力も欲しいところなのだが、そんなことを言っていたら、性格上いつまでもやれないので、とっとと始めてしまうことにしたのである。
 せっかく始めたからには、最後まで書きとおさねばなるまい。いや、これだけはなんとしても最後までやりとおす。人生で初めての、自分企画の一大プロジェクトなのだ。
 これをやりとおすことで、また次を始める時には、絶対の基盤となる何かが出来ると、私は思っている。
 自分自身の満足で終わってしまっても、それはそれでいい。
 これは「自分で始めた何かを達成した」という、自分に対する自信を得るための作業なのである。

 ああ、もう一つ。
 やっと我が家は「ブロードバンド」の仲間入りを果たした。
 Yahoo!BBとゆー業界では悪名高いADSLサービスだが、今のところすっげー速い。実測2.3Mbps。基地局からの距離を計算に入れれば、ほぼ最高速度であろう。もう数百Kbpsでも従来の十倍は出ているというのに、無駄に速いとも言えなくもない(笑)。でもないか。
 もちろん、ADSLだって無制限に速いわけではない。「ベストエフォート非保証」という、最大速度はカタログスペックであり、実速は使っている環境によって左右されます、というサービスばかりだ。ADSLという技術自体がそういうものだから仕方ないのだが、同じ価格なら、やっぱり速いほうがいいに決まっている。
 しかし、なんか速度が出ないときのために色々資料を漁ってたり、準備してきたのがアホらしくなるほど速い。
 ま、あとはトラブルが起きたときに迅速に対応できるようにしておくだけだね。
 みなさんも、ネット環境の高速化は考えているだろうけど、ADSLは遅いとき・遅い場所じゃ下手するとモデム並みになっちゃうから、十分下調べはしておきましょーね。

・3/21
 気がつけば、サークルとして体裁を整えて、3年が経過した。
 この3年で判ったことといえば、長年買う側として蓄積したノウハウを活かそうと思っても、そうそう簡単に出来るもんではないこと、上を見たらキリがないこと、そしてこんなことばっか続けてると体力がどんどん落ちていくこと、周りはヲタクばっかになること(笑)だ。←あんたもだ。
 まー技術的にはそこそこのものは得られたが、上を見なければ上には行けない。下ばかり見ても、得られるものは少ない。そーゆーことですなも。

 しかし、最近はオリジナルよりパロが優勢だねえ。コミケが生まれた当初では、パロなんてほんの一握り、ちんちんにぎるぐらいしかいなかったのが、今じゃコミケで石を投げればパロ本に当たるぐらいだ。例えはめちゃくちゃだが、意図するところは判って頂けよう。
 パロが売れるのは判る。特にエロパロ。オリジナルエロは、商業誌の方が充実してる。あえて同人でやるのは、プロとしてまだ通用しないか、プロとしてやれるネタではないか、プロの制約がいやか、まあ色々な理由があるだろう。別に商業誌でなくてはいけない理由もないし。
 しかしエロパロは、同人でなくては見られない作品群である。今時の同人作品の特徴と言ってもいい。しかもエロゲのパロも最近は多い。よくわからん現象だ。
 人それぞれ、同人活動に対する見解や考え方はあろう。パロは格下、オリジナルは優れている、そういうことを言う気もない。限りなくパクリに近いオリジナルもあれば、限りなくオリジナルに近いパロもあるし、パロディとはいえ、キャラや設定が借り物である以外は完全に独自性を保っていて、しかも優れた作品に仕上げてしまう手腕の持ち主も、確実にいるのだ。
 だからといって、パロディ「だけ」をやることを推奨はしない。なぜか?
 パロディの元となる作品は、いずれ時代に埋もれて消えていくからだ。
 同人は一生の趣味にはならない、この作品がある間だけ、と割り切っているならそれでよかろう。作品が消えたら同人から足を洗い、をたくもやめる。それもまた生き方だ。
 だが、延々と果てしなくパロディ同人ばかりを続けていくのもどうか、と思わぬでもない。
 あくまで私見としてだが、パロディばかりでオリジナルをやらないのは、「オリジナル作品を作ることの面白さを知らずにいる」ことに他ならない、と私は思っている。
 人のキャラクター、人の設定を使うのは簡単だ。自分でそれを考えなくていいし、すでに決まっているものを見て描けばいい。
 だが、「全て自分で決めたものを創る」ことの楽しさを知れば、同じパロディをやるにしても、オリジナリティの出し方も変わってくるはずだ。
 「自分で設定やキャラ創るのが面白いとは思わない」のであれば、それは仕方ない。世の中には、自分で何もかも作ることがわずらわしく、面倒で面白くないと感じる人も少なくはない。
 だがしかし。だがしかし、だ。
 そう考える前に、そういうあなたは今何をしているのか、と考えてくれ。
 あなたのやっていることは、たとえ設定やキャラが他人のものであっても、「創作」なのだ。自分で何かを創っているのだ。自分で考える範囲を少しずつ広げていけば、いずれキャラも設定も、自分で創るようになる。それが楽しいと感じられるようになるはずだ。

 ただ、それは他人に強制したりされたりするものではない。自身で気づき、とりかかるべきもので、他人に強制されても決して面白くはないだろうし、納得行くものも、面白いものも出来はしないだろうから。
 ただ、パロディには「元の作品を越えられない」という限界点があるが、オリジナルにはそういう限界はない。自分自身が「元の作品」なのだから。
 その一点だけにおいても、私はオリジナルを推し進める理由があると考えるのだ。

 熱く語っちまいましたが、ここはそういう場所です(笑)。
 

・3/22

 世の中には色々考える人がいるが、こんなのがある。

 「あなたは人生を考え始めた年からいままでに、他人に多少なりと誇ることのできる技術なり知識を身につけているか?」

 仮にこれを「人生技能」と呼ぼう。生きていくのに何か、自分に有利になる技能。つまり、金になるとか、他人に教えることが出来るレベルにある何かだ。

 例えば、過去を振り返り、初めて人生を考え始めたのが15歳だったとする。
 ではそれから現在に至るまで、そう、あなたが30歳だとして、15年間に何を蓄積してきたか?
 つまり「人生技能」を修得してきたのかどうか、である。

 人生を考え始めたときから今までの年数を平均技能レベルとする。
 以下のようなレベル判定をして、自分の持っている技能を判断する。
 技能の判定は、出来るだけ客観的に。

レベル
0:知らない。論外。

1:概要を知っている。
2:ちょっとした知識を持ち、多少はこなせる。
3:明らかに素人とは一線を画すレベルだが、趣味の領域
4:素人に教授できる
5:アマチュアとしては高レベル

-----------ここからはプロのレベル。-----------

6:プロとして最低限やっていける
7:一般的職人、アマチュアでは最高レベル
8:プロとしても高いレベル
9:プロとして他の一般的プロにも教授できる
10:業界最高レベル

 うろ覚えなので、レベルの判定は厳密ではないが、だいたいこんなところだ。
 レベル10の技能を持っている人は滅多にいまいが、自分が複数持っている技能のレベルが、平均技能レベル近辺であるかどうかをみる。

 ±3レベルぐらいであれば、まあ人間として平均的にがんばってきたということになる。
 ただ、6レベル以上のものが一つもないと、職人とは言い難い。
 一応プロとして仕事をしている以上は、その仕事に関しては6レベルはあるということになるが、5と6のレベル差は「プロとしてやっているかいないか」の差、つまり心構えの差であり、技術的な差異はほとんどない。

 例えば、あなたが初めて人生を考え始めたのが「15歳」、現在32歳だとしよう。
 そこで、あなたが今まで得てきた「人生技能」を考える。
 15のとき、初めて自らマンガを描き、いまでは同人でゴリゴリ描いている。多少なりと部数も出るモノは描いている。こういう場合はレベル4〜5である。
 19で免許を取り、車を以来ずっと乗り回している。仕事にも使っている。生活でも仕事でも欠かせない足だ。こういう場合、仕事には使っているが、車を運転する技能はプロではない。運転のプロというのは、せめて二種免許を持っているとか、車を運転することが仕事である(運送業)場合だ。ゆえに、これは3〜4レベルに相当する。もしも車がいくらかチューンされている、とかになれば、5レベルになることも。
 さて、仕事はコンピュータ関係の営業。仕事の折衝でも、パソコンは欠かせない。ただ、プログラマならば6レベル以上をつけていいが、営業なら「営業交渉」のような対人技能を5レベル以上につけるのであり、パソコンで報告書を書く程度なら3レベルといったところだ。
 折衝で、相手の望む方向を感じつつ、こちらの要望も織り込んで話をまとめるなど、調停能力に優れていると感じるなら、7〜8レベルをつけてよかろう。
 これで、技能の合計が17前後であれば、あなたは人並みにはがんばって人生を生きてきたということになる。

 これで何が判るのかといえば、「あなたは人生をサボってきたかどうか」であるという。
 あなたが社会人で、すでに数年のキャリアがあり、それでいて6レベルに達していると自分で思う技能がないなら、それは人生の怠慢である、ということになる。
 逆に、メインの仕事でも、趣味でも6レベル以上のものがあるなら、それはあなたが密度の高い人生を生きてきた証である。
 ただ、技能の良し悪しを判定するのではないが、「金になるか」「打ち込んでいるか」「他人に教えて認められるか」という3点を基準として選んでいただきたい。

 この判定、30代を中心に、40代ぐらいまでなら近い判定が出来るという。
 ちなみに自分で試したところ、+1となり、まあそこそこやってきたんかな、というところだった。
 数字だけで人生がわかるわけではないが、主観と客観とを見極め、自分の生きてきた軌跡をちょっと思い出すものいいかもしれない。

・4/19
 なんか「同人座談会」をやろうという企画がなんとなく持ち上がったのが、2001年冬コミのこと。
 長き雌伏の時を経て、GW明け、レヴォの日にそれをやろうとしている。
 メンバーは、いつもイベントでお世話になってる面々であるので、話す内容はここを読む方々には知れるであろう……と思いきや、必ずしもそうではない。結構同人社会の将来的な動向を決めるかもしれないアイディアについても話し合いがされるのだ。
 とはいえ、我々はそんな影響力を行使できるほどの存在でもないので、「こんなこといいな できたらいいな♪」を話すだけであるが、それでもこれが実現できれば我々の活動にも非常に有益、と考えられることを話し合おうと思っている。

 その一つが、「同人誌リサイクル」である。
 これは「中古買取」のことではない。「古紙リサイクル」への話である。
 いわゆる大手は、在庫を考える必要はない。作れば作っただけはけるから。
 問題は、サークルの大半を占める弱小サークルの、「売れ残り在庫」のことである。
 他人がこの問題を云々するのは決して気分のいいものでない。しかし、現実、売れ残った在庫を抱えているサークルは少なくないし、うちにもそういう問題はある。私の周辺にも、同様の問題を抱える方々は少なくはない。
 そこで、これを解決すべく、「同人古紙リサイクル」の方法を考えよう、というのが今回の座談会のテーマの一つである。決してバカ話をするのが目的、というわけではない(と思う、多分)。
 同人誌在庫は、かなり深刻な問題である。ショップに卸している人はまだよかろう。しかし、ショップで扱ってくれないジャンルや、自分では売れると踏んだのに売れなかった場合など、こういうのはかなりどうしようもない、と見て間違いない。残念ながら現実はそういうものだ。
 コピー誌なら、まだいくらか救いはある。コンビニ製作なら、裏面が必ず残るから、裏紙として再利用される道がある。
 しかし、同人誌はそうはいかない。売れないから処分したいと思っても、処分に困る場合がほとんどである。特にエロ同人は困る(苦笑)。中古ショップが遠かったり、ショップで買取してくれないものもある現状、いらなくなったら「他人に見られないようにして処分」するしかない。
 だが、他人のならいざ知らず、自分で作って抱えてしまった在庫など、処分するにできないことであろう(笑)。近所の古紙回収に出して、誰かが見たら……と思うと、なかなか出せるものではない。商業誌のエロマンガなら、古本屋に持っていくという手もあるが、同人は今では扱っているところも東京・大阪・名古屋などの大都市圏ぐらいにしかない。
 だったらこの際、有料でもこういった不要(と言ってしまっては哀しいが、実際お荷物である)同人誌を処分してくれるルートが確定すれば、在庫を(ある程度)気にしないで活動をすることが出来るのではないかと考えるのである。
 一番有望な方法が、どこかの古書店や同人誌印刷屋など、紙業界に詳しいところと協力してやることである。
 そんな余力のある印刷屋があるかどうかは解らないが、繁忙期でなければ、新しい業務として定着していく可能性もないではない。
 要は、古紙業者への一括取引をしてもらえる窓口を、どこかでやってもらえればいいだけの話である。そこで紙をリサイクルしてもらい、それをまた同人誌印刷に充てる。そういうリサイクルルートを確立して、同人誌業界も少しはエコロジーなところを示し、また活性化していこうと考える次第である。

 さて。これらを実際に事業化する場合、どういう形態になるだろうか。
 取引窓口の設定、それを集荷するための作業倉庫、取引業者の対応、古紙相場のチェック、集荷量と処理能力の見込み、また処理方法の確定など、色々考えなければいけないことがある。
 もちろん、一番問題になるのは、これが業務として成立するのかどうかである。
 おそらく、単独の業務として成立させるには、色々難関があると思われる。収益性があるのかないのかと問われれば、多分単独ではかなり低く、事業者としてやっていくのは難しい。
 しかし、同人誌印刷所など、同人誌に関わりが深い業種に新規事業として活動してもらえれば、より話はスムーズに動くのではないだろうか。
 また、中古同人誌ショップで買取と連携して動いてもらって、「買い取り不可能なものは有料でリサイクルする」というオプションを用意してもらえたりすると、これまた中古ショップでも不良在庫を抱えずに済むし、わざわざ返送する手間がなくなり、仲介手数料を得ることも(笑)できる。
 煩雑な面もあるが、決して事業として収益が成り立たないわけではない、と思うのだ。
 「そんなのに金払うぐらいならゴミに出す」という人もいるだろう。  しかし、「せっかく作った本をゴミには出来ない」から在庫として抱えてしまっているという人は、このリサイクルシステムは有効なのではないか、と思う。

 とまあ、こんなことを真面目に話し合おうというのが座談会の狙いだ。
 同人座談会だからといって、決してホラ話とか与太とか萌へ萌へばっかりではないのだよ(笑)。
 結果は追ってここに書くとしよう。もし実際に動き始めたら、ほんまたいしたもんだ。

・5/21
 さて、最近また周辺環境がキナ臭くなってきた。
 例の「児童ポルノ禁止法」である。
 これが制定されてしばし経つが、この法の基本理念は「人権保護のため」だったと記憶している。アメリカを始め、東南アジアなどの低開発国で、少女売春や児童ポルノなどが問題になり、人権保護先進国たるアメリカが「お前らも子どもの権利を守れ」とかのたもうたわけである。
 まぁこっちにしてみれば、後ろめたさから必死に取り繕ってるのは見え見えながらも、主張に関しては理解は示そう。正論ではあるからだ。
 これも「人権保護」という観点から、「実際の子どもの写真や映像」に関してはダメ、としながら、架空の人物に関しては、実際に存在しないので人権保護の対象にはならない、よって保護規制対象から外れる、ということになったのは、ここを読まれるような方ならご存知であろう。
 しかし、あろうことか、今回はその「架空の人物の画像(絵)」まで規制しよう、という動きが出ている。

 5/11の朝日新聞の記事から(現在は削除)であるが、日本の代表がアメリカの「児童ポルノは何でもかんでも取り締まれ」という禁止議定書にサインしてしまったのである。
 まーなんというか、勝手なことをしくさるね、アメリカって奴は。

 過去、アメリカが勝手に国際ルールを作ってきたことはよく知られている。貿易でも、アメリカの保護貿易主義は世界的に有名だ。自国の産業は保護するが、輸出を受け入れなければスーパー301条を発動させるとかいって脅し、自分に有利に有利に事を進める。
 「それが外交というものだ」と言われてしまえば、瀋陽問題になっているような弱腰外交しかできない二本の外務省や外務大臣には、アメリカと正面からガンガンやり合う外交は絶対に無理だ。しかも、アメリカのような恐喝外交が出来そうな人物といえば、鈴木宗男とか田中真紀子ぐらい(笑)。両方失脚してんじゃん。
 つーことで、何かとアメリカにはジャイアンに対するスネ夫のような位置にいる日本としては、アメリカがなんか言うたら従わねばならんのであるが。
 これはいかがなものか、と思わざるを得ない。

 どこらへんが疑問(不服なのではなく、おかしいと思う点である。不服といえば、こんな議定書自体が不……おっとここまで^^)かといえば、元々人権を守るために制定されたはずなのに、あらゆる「少しでも関係のある表現全て」を規制対象にしようとしているからだ。
 これはおかしい。どう考えてもおかしい。つーかバカ?
 早速これに、アメリカ国内でも映画産業などが反対し、最高裁で違憲判決が出された。つまり、過去の芸術作品や絵画にも、そういった要素を含む場合が多々ある。それを規制対象に含めた場合、そういった芸術が全て封印されることになる。
 日本でも人事ではない。絵が禁止されれば、エロマンガ・エロゲは当然、ギャルマンガやギャルゲ、少しでも「炉」の匂いがするものはことごとく弾圧の対象になってしまう。
 そう、これは権力によるの表現の規制である。だからこそ、アメリカでは違憲判決となったのだろう。個人の権利を侵害する法に関しては、アメリカは非常に敏感だ。
 対する日本ではどうか? ここで問題なのが、日本の法務大臣は森山某という、あんまり知られていないオバサンだ。
 このオバサンと「炉」は、非常に相性が悪い。もちろん、エロ全般相性が悪い。
 基本的に「女には理解できない世界」だから、というのがあるが、なぜかこういうおカタいオバサンは、こういうものを徹底的に排除しようとする。かつてガイナックスのパソゲーが規制された宮崎県では、こういったオバサンの力が非常に強い地域だった。おそらく千葉県でもそうなのではないか。
 ともかくこういったオバサンがトップにいると、エロ産業自体が規制厳しくなる。
 これは、日本の産業を縮小させ、景気回復を遅らせる「悪しき規制」になりかねない。

 日本のあらゆる新メディアは、アダルト産業なくしてはここまで発展し得なかった。
 例えばCD-ROM。一時期は「マルチメディア」とかいう掛け声で売り出されたが、音楽以外ではさっぱりだった。当時の得体の知れないマルチメディアソフトがバカ売れした、という話は、業界人たる私も残念ながら聞いたことがない。音楽CDはともかく、CD-ROMはこのままではゲーム以外では利用されずに終わるのではないか……と危惧されていたが、結局PCへの普及の決め手となったのは「エロCD-ROM」であった。
 エロCG集やエロビデオCDなどが、購買力のある中年男性の財布をこじあけ、徐々に普及を促進したのだ。
 そして少し前、同じ事をDVDがやって、その普及に一役買った。いや、正確にはDVDプレーヤーの普及よりPS2の普及に一役買った、というべきか。もちろんこのおかげでDVDプレーヤーの価格は急落したし、PS2も国内のみならず、世界のデフォルトゲームマシンとなった。
 こういった、世界の経済をも動かす新メディアの救世主たるアダルト産業は、実はいつの時代にも確実に収益を上げられる産業なのである。
 特に新しいメディアを普及させる鍵は、明らかにアダルトが牽引役となる。業界の事実である。もちろん、弊害がないわけではない。PCゲームのように、ゲーム市場自体がエロゲに占領されてしまうとか、セガのように出すマシンが「エロゲ&ギャルゲマシン」としか認識されないとか、そこに注力しすぎたために起こる悲劇もある。しかし、そういった失敗例以上の経済効果を、そのメディアは確実に提供している。CDは世界で数十億枚ともいわれるほど生産され、今ではCD-Rすらどこでも手に入る。コンビニでも扱っているぐらいだ。DVDにしても、今やかつての映像メディアの主役たるビデオと並んで、映画や様々な映像を供給するデフォルトメディアになりつつある(もちろん、ビデオにとって替わるには、録画の簡便性や安価であることなどが必須条件だが)。
 ここまで経済に大きな影響を与えるアダルト産業をこれ以上規制するのは、将来的な市場を閉じたり縮小することになりかねない。

 しかも、今度の規制は「意味不明」なのである。なぜ「絵や映像」を規制する必要があるのか?
 人権擁護目的なら、必要ない処置だ。もし犯罪抑制効果を狙って……というなら、お門違いも甚だしい。「日本を狙い撃ちした」とも言われるような今回の規制は、何が目的なのか。アメリカは、日本の出版やゲーム業界の、エロマンガやエロゲギャルゲをそこまで恐れているのか、問題視しているのか。そこが疑問なのである。
 単に「規制すること」を目的としているなら、それこそ本末転倒甚だしい。規制するからには、規制する理由がなくてはならない。前述のように犯罪抑制を目的とするなら、じゃあエロマンガやエロゲのない国で、日本より遥かに凶悪で多数の児童虐待犯罪が起きている事実はどう見るのか? 日本の、それらのエロスメディアに関連した、影響された犯罪が、それほどまでに異常増加しているのか?
 答えは否である。そういった異常性的犯罪に関しては、むしろアメリカの方が日本より多いぐらいだ。規制が厳しいのは、そういった犯罪が多いからでもある。
 確かに日本でも、時折みられる異常犯罪には、こういった規制対象メディアの影が見え隠れする。報道メディアも、犯人がエロゲやエロマンガ大量に有していたりすると、それをことさら強調して報道したりする。「こういうものを持っているから犯罪に走る」と言わんばかりの表現も多い。
 しかし、それが決して何を持っているかとか集めているかが原因ではなく、犯人の生活環境や家庭環境に拠るところが大きいのが事実だ。それをたまたま「犯罪要素になりそうに見える」というだけで規制対象にされてしまうのは、このアダルトメディアに関連する者として、不本意といわざるをえない。
 アダルトメディアは、むしろ犯罪抑制のために大きな効果があると断言できる。もしアダルトメディアが世の中から消えたら、人々はそれに替わるものを求めるはず。それが犯罪に繋がる人間も、少なからず生まれる。犯罪が増えることになるのだ。アダルトメディアは確実に、実際の犯罪の代償として活用されている。そこから「これを実現したい」と思うことはあっても、実行してしまう人間はごく稀だ。
 もし、そういう論法でアダルトメディアを規制するというなら、むしろ出会い系サイトを規制しろ、と言いたい。犯罪の温床として非常に問題になったではないか。テレクラだってそうだ。

 まあ、政府の人間も、最近はポカを連発することも多く、どう考えても「お偉いサン」なんて言えない人間ばかりになってしまっているが、それは果たしてそんな人間を選んだ国民が悪いのか、それともそんなことを考える政治家が悪いのか……おそらくその双方ではないかと思う。
 BBSにも書いたように、こんな政治家を選んで自分の首をしめるようなことにならないよう、我々国民自身が知恵と高度な判断力と人を見る目を養っていかねばならんということだ。

まだまだ続くよ。


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