序

 その勝負では、互いの「身体」が賭けられた。
 勝利した方が、相手を一ヵ月間、奴隷に出来るのだ。
 だが、彼女にとっては、この相手に勝利することが目的なのだ。
 ペルフェウス・カーン   世界最強といわれる武術家。素手で剣を持った相手を制し、鉄の鎧を貫く拳の前は、どんな防御も用を為さない。魔法ですら、彼の鋼の身体を傷つけることは叶わない。
 だが、彼女もこの日のために、辛い修業に耐えてきたのだ。
 奴に殺された父と兄の仇を討つために、彼女は勝利を決意する。

 その大会は、「覇王会」と称されていた。
 世界中のありとあらゆる武術家が、「聖天覇王」の地位と名誉を求めて、陽射しの強くなり始める季節に、覇王都市メイ・キングで行なわれる、年に一度の大会に集結する。
 彼女、明日香・イプリングもまた、そんな武術家の一人である   と思われているが、彼女の目的は決して聖天覇王の地位でも、それに付随する名誉や賞金のためではない。かつて、彼女と同様に覇王会に出場して、ペルフェウスの手で死に至った父、そして兄の仇を討つためである。
 明日香の実家は、「宇道」という気功武術の宗家である。彼女の父・リュウスイはその三人の伝承者の一人であったが、他の二人が道場を出て、残ったリュウスイが道場を継いだ。が、有名な「宇道」の伝承者を倒して名を上げようとする者は多く、リュウスイは明日香の兄・キョウト、明日香、そして一番弟子であったペルフェウス他数人の高弟を連れて、山間部の小さな村に隠遁した。
 明日香が十五歳のとき、ペルフェウスが「不交他門」の掟を破り覇王会に出場、そして優勝した。「聖天覇王」となったペルフェウスは、破門されたことを理由にメイ・キングに移り住んだ。以来彼は、聖天覇王として武術家の頂点に君臨し続けている。
 その翌年、キョウトはペルフェウスと相対するため、一度だけという約束で覇王会へ出場を許された。そしてその大会決勝にて、ペルフェウスと対した。
 そして、キョウトは殺された。ペルフェウスは、欲望に塗れて精神的に堕落してはいたが、肉体的には破門された当時より、遥かに強くなっていた。キョウトは、ペルフェウスにただの一手も当てることが出来ず、殺されたのだ。
 そして、リュウスイが起った。表向きは「宇道の正しき道を示すため」ということであったが、明日香は、密かにキョウトの死を哀しんでいた父の姿を知っている。が、例え私怨であっても、奥義を極めた伝承者の父が敗北するなどありえない   そう明日香は確信していた。
 が、現実はどうか。リュウスイは、キョウトの後を追わされることとなった。さすがに宇道最高伝承者、ペルフェウスの勝利は紙一重の差であった。おそらくそれは、肉体的なものであろうと思われた。上昇している強さのペルフェウスと、肉体的には下降線をたどっていたリュウスイ。例え今は同じ高さにあっても、その差が結果となって表れたのである。
 そして、今   宇道総帥となったなった明日香が、兄と父を倒した男に挑戦する。

 〈宇〉とは、いわゆる「気」のことである。
 しかし、宇道で言う〈宇〉とは、人間の発する気の事だけを指すのではない。この宇宙全体を覆う、「大自然の気」を指して言うのである。人間の気は、その〈宇〉の一部でしかない   「宇宙」とは、〈宇〉に満ちた世界、という意味なのである。
 そして宇道とは、宇を極め、それと一つになることを目的とした「思想」である。決してそれに付随した武術の総称ではない。武術は、正式には「宇道武律門」と称する。それは、宇道において、〈宇〉を感じ取るための技術の一つにすぎないのである。
 が、その武術は強かった   一人の人間を狂わせるのには十分なほどに。それが純粋な「破壊力」として認識されたとき、宇道の拳士は人間を超える。
 その具現者が、明日香の目の前にいるペルフェウス・カーンである。
 本年の決勝は、明日香とペルフェウスによって争われることとなった。抜きんでた強さの聖天覇王、そしてそれに匹敵するかと思われる宇道拳士・明日香。その実力差は僅差であろう、と誰もが考えていた。
 しかし、闘いは突如始まり、突如終わった。
 感じ取られない「無拍子」にて始まった二人の初動に観客が気付いたとき、勝負はついていた。
 明日香が、床に叩きつけられ、息を詰まらせていた。
 ペルフェウスは、動けなくなった明日香を、冷ややかに見下ろしていた。
 殺そうと思えば、一瞬で殺すことは出来た。だが、それをしなかったのは、「賭け」があったからであろう。
 「聖天覇王」はこの年も勝利を納め、七年連続の勝利となった。















宇  王  伝










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(C)Nighthawk 1999