クリーム色の戦場

序章 3 4 5 終章
   1.軍事学校時代・敵と味方と

 バルジ・ガノブレードは有能な軍人であり、強靭な肉体と明晰な頭脳を共に持ち合わ
せていた。
 が、その息子エレゲンは、肉体こそ人並みではあったが、頭は切れるとは言い難く、
それでいて権力にへつらう姑息な男であった。軍に入ったはいいが、上官には平身低頭
し、部下には冷徹かつ尊大であったエレゲンは、常日頃から部下の不評を買っていた。
 エレゲンがリーザス進攻軍の一指揮官として出撃した際、赤の軍団に正面から挑んだ
挙げ句返り討ちに遭い、慌てて撤退する際、若い兵士に一撃で右腕をもぎとられた。
 やっとのことで戦場を離脱したところを、エレゲンは以前から彼にいびられていた部
下たちによって、謀殺された。報告には、「敵前逃亡により粛正」とだけあった。
 クリームは当時十三歳。引退したとはいえ、バルジの名声は彼女の憧れるところであ
ったが、父エレゲンの権力指向は非常に不愉快だった。だから、父の死を聞かされても
悲しくはなかった。
 が、ガノブレード家にとっては、エレゲンの死に付随してきたペナルティの方が深刻
であった。「敵前逃亡」した臆病者のために、バルジの年金がストップ。バルジの抗議
も効果がなく、やがて心労のためバルジは病床につき、ほどなく他界した。
 多少の貯えがあったため、当座の生活には困らなかったが、生活のためには金を稼が
ねばならなかった。
 クリームはガノブレード家の長女ではあるが、彼女には二人の兄弟がいた。が、二人
ともすでに死亡していた。兄はエレゲン以前のリーザスへの進攻の際に戦死、弟は病死
であった。
 クリームは、迷う事無く軍事学校へ入ることを決意した。興味本位とはいえ、バルジ
に習った戦略戦術を、生かさない手はなかった。
 時に、クリーム十五歳。これから、苦難の三年間が始まる。
 が、ヘルマンで伸し上がるためには、避けて通ることの出来ない道であった。


「よお、クリームちゃん」
 またこいつか、とクリームは思う。
 上目遣いに見上げる目の前には、二回生のクラウスト・バーコフが、いやらしく歪ん
だ笑みでクリームを見下ろしている。
「何か御用でしょうか」
 クリームは、せいぜい礼儀正しく振る舞う。只でさえ、女ということで差別されてい
るのに、軍事学校というところは上級生・下級生の区別が厳しい。先輩に逆らえば、後
々何をされるかわからない。全寮制のここでは、それは尚のことである。
「この前の返事、聞かせてくれねえかなあ」
 そんな中でもクラウストは、学校一の乱暴者として有名であり、また第一軍レリュー
コフ・バーコフ将軍の血縁者ということもあり、学内で彼に逆らい得る者はいない。厄
介なことに、それらを差し引いたとしてもクラウストは十分に頑健であり、技はともか
く、力ではかなう者も少なかった。教官ですら、単純な力比べではクラウストには誰も
太刀打ちできなかった。
「その件でしたら、以前申し上げたとおり、お断わりしたはずですが」
 クリームがもし並み以下の容姿であれば、クラウストの目に留まることはなかったか
もしれない。しかし彼女は、特殊な好みの男を除けば、確実に「美少女」を評される容
姿の持ち主であった。
 クラウストは、入学当時からクリームに目を付けていた。他にも女性の候補生はいた
が、クリームは際立って目立った。入学試験の成績もトップという才女であり、それも
クラウストの嗜虐心をそそった。
「おとなしく俺様の言うことに従っておいた方が身のためだぜ」
「お気遣いは無用に願います。私は、自分一人で生きていく力を身に付けるために、軍
に入ることを決めたのですから」
「なあ、クリームちゃんよお」
 クラウストが、クリームの肩を抱く。
「前にも言ったとおり、ここは男でも厳しいとこだ。まして女にゃ、その何倍も辛いだ
ろうぜ、なあ」
「そうかもしれませんね」
 クリームはクラウストの手から、するりと抜け出して答える。
「でも、ここで耐えられなければ、世間では耐えることも出来ません」
 臆することのないクリームの視線に、クラウストの眉がわずかに歪む。
「頑固な女だなあ、おめえは」
 クラウストが、再び彼女に手を伸ばそうとしたとき。
 その腕を、誰かが掴む。
「いい加減にしておけと言ったはずだ」
 そこには、クラウストと同じぐらい長身の、短く刈った赤毛の男。
「――バインド先輩」
 クリームが安堵の表情を見せたのと対照的に、クラウストは舌打ちし、掴まれた腕を
振り払う。
「今すぐここから去れば、この場は見逃してやる。だが、次に苦情が入れば、自治会か
ら学校へ提訴する。そうなれば、いかにレリューコフ将軍の甥っ子という身分でも、只
では済まんだろう」
「チ……!」
 クラウストは、「覚えておけ」と目で言いながら、その場を逃げるように去る。
「有難うございました」
 クリームの言葉に、バインドは笑って、
「あれだけ脅しておけば、もう大っぴらに絡まれることはなくなるだろう。ただ、あま
り一人で人気のないところを歩かない方がいいな。証拠はないが、去年一年で、三回の
強姦事件があった。おそらく、クラウストが全て関わっている。気を付けるようにな」
 頷いて応えるクリーム。
 そしてクリームは、バインドの後ろ姿を見送りながら、入学式のことを思い出す。
 あの時も、同じ様なことがあった――


 入学式の後、クリームはクラウストと取り巻きに呼び止められた。
「あんたかい、クリーム・ガノブレードってのは」
 クリームは、男たちの表情から、何が目的で自分に接近してきたのか、はっきりと読
み取れた。エレゲンが「粛正」されてから、クリーム目当てに生活資金援助を申し出る
男たちが数多くガノブレード家を訪れたが、そういった男たちと同じ目をしていたから
である。もちろん、そんな男たちは、全て母・ミネスが追い返した。
 そして、ミネスはクリームに言った。
「クリーム、あなたは一人で生きられるようになりなさい。私たちのことは気にするこ
とはありません。邪魔であれば、切り捨てなさい。必要であれば、利用しなさい。そう
しなければ、このヘルマンでは、女は生きてはいけません。
 私は、エレゲンという男を見誤っていました。若いうちは、ちょっと甘い囁きをされ
ると、男は優しいものだと思ってしまうもの。
 でもねクリーム、これから、あなたには数多くの男が近寄ってくるでしょう。その中
から、本当の男を選びなさい。表だけ取り繕って、あなたの身体目当てに近寄ってくる
男に騙されてはいけません。むしろ、あなたの頭脳を利用しようとする男ならば、進ん
で協力しなさい。そして、逆にその男を利用するぐらいになりなさい。
 これからの軍事学校の生活は、辛いものになるかも知れません。しかし、それを耐え
なければ、その先はありません。
 でも、行動すべき時は、迷わず行動しなさい。『機をみるに敏』、という言葉は、お
爺様の好きな言葉でした。情況や機会を読み取る力は戦略戦術の基本である、と仰って
いましたからね」
 そしてクリームは、入学早々、最初の難関に遭遇する。
「何か御用でしょうか」
 慇懃に、クリームは訊ねる。入学式に出ていた顔は、見ていた分だけは全員覚えてい
る。そしてこの男は、悪い意味で目立っていたのを覚えていた。
「俺様は二回生の、クラウスト・バーコフってんだ。あのレリューコフ将軍は、俺様の
叔父でよ」
 クリームは、下品な笑みと共に自慢げな自己紹介をするクラウストを、「忌避すべき
輩」と判断した。自分ではなく、他人の名声を自分の事のように自慢する奴には、ロク
な奴はいない。母の言葉を思い出す迄もなく、常識的な部分でそれは判断できた。
「女は毎年何人か入ってくるけどよお、大抵一年も持ちゃあしねえ。根性がねえんだよ
な根性が」
 クラウストが笑うと、取り巻きも下品に笑う。
 一頻り笑うと、クラウストはクリームの肩を抱き、その形のいい耳に囁いてきた。
「――そこでよお、クリームちゃん。俺と取引しねえかい」
「取引ですか?」
「そうだよ。取引だ」
 クラウストは、小さくげへげへと笑う。
 が、クリームには、取引の内容は大方想像がついていた。その裏にあるものも。
「どうも軍ってのは、女に厳しいんだよな。そこで俺がよう、クリームちゃんが無事軍
事学校を卒業できるように取り計らってやるから――」
「クラウスト先輩とお付き合いする、という条件でですか?」
 クリームには、クラウストの驚く顔も予想の内であった。
「……なんだ、分かってンじゃねえか。物分かりのいい娘ってのは好かれるぜ」
 クラウストが、さらにクリームを抱き寄せようとしたとき。
「そこで何をしている」
 クラウストの表情が、その声に固まり、眉間に皺が寄る。
「チ、またあんたか」
 クリームを離し、クラウストは振り返る。
「そうやって、女子候補生の弱みに付け込むような真似はやめろ。軍の規律が乱れる」
 クラウストの陰から顔を出したクリームが目にした、その人物は。
「それに、如何にレリューコフ将軍の縁者とはいえ、今度問題を起こせば只では済まな
いことも分かっているはずだ」
 その男は――ヘルマン人らしい、鍛え上げられたがっしりした筋肉質の身体に、精悍
な顔をした、おそらく三回生らしい男であった。
「クリームちゃん、返事はまた改めて聞かせてもらうよ」
 クラウストはそれだけ囁いて、取り巻きとその場を去っていった。
「大丈夫か?」
 クラウストを目で追いながら、男は訊ねてくる。
「ええ――何かされる前でしたから。有難うございました」
 クリームが礼を述べると、男は微笑みを見せた。
「俺は自治会長をしているバインド・アルンヘイムだ。クラウストの奴は、女子候補生
が入ってくると、必ず嫌がらせをしてくるからな。気を付けた方がいい」
「ええ、わかってます――どんな学校にも、あのような手合いは必ず一人はいますから
ね。関わらないに越したことはありませんが」
 クリームの、思っていた以上に冷静な答えに、バインドは苦笑する。
「落ち着いているね」
「予想はしていましたから」
 クリームは、バインドの目を見てみる。
 少なくとも、今は敵ではない――味方かどうかはわからないが。
「奴のおかげで、只でさえ女っ気の少ないこの学校が、ますますムサ苦しくなる。困っ
たもんだ」
 クリームは、バインドの言葉にわずかに眉を顰めるが、その口調は、表情とは逆に、
彼女に安心感すら感じさせていた。
「ところで、君の名前を聞いてなかったな」
「クリーム・ガノブレードです」
「――というと、バルジ・ガノブレード将軍の――お孫さんにあたるのかな」
「ええ。そして、エレゲン・ガノブレードの娘でもあります」
 クリームは、眼鏡の奥に瞳の色を隠して言った。
 バインドは、この話題に触れることがクリームにとって禁忌に値するものだ、と感じ
て、
「――まあ、君の祖父殿やお父上がどうであろうと、君は君だ。君が努力すれば、そし
て結果を出せば、相応の評価が返ってくるはずだ」
「ええ――私もそう思っています。ですから、こうして軍事学校に入ったんです。この
国で認められるためには、軍に入って手柄を立てるしかありませんから」
 クリームのその反応は、バインドをますます困惑させた。
 が、クリーム自身は、バインドの評価を改めつつあった。少なくともこの男は、自分
を正当に評価しようとしてくれている――それは即ち、クリームにとっての味方である
と言えた。
「まあ、頑張るんだね。困ったことがあったら、あの校舎の二階に」
 と、バインドはクリームの左手の校舎を指差して、
「自治会室がある。昼休みや放課後なら大抵そこにいるから、相談に乗るよ。生徒の相
談も自治会の役目だからね」
「ええ、その時はお願いします」
 クリームは、そこで初めて微笑みを見せた。
「では、私は部屋の片付けがありますから」
 一礼して、クリームはその場を去る。
 その後ろ姿を、バインドは見えなくなるまで眺めていた。


 クリームの部屋は二人部屋で、全部で八人いる女子候補生同級生の一人、マーニャ・
レトリコフと一緒であった。
「よろしくね、ガノブレードさん」
 マーニャと握手しながら、クリームは答える。
「クリーム、でいいわ」
「じゃあ、私もマーニャでいいわ」
「ええ、マーニャ」
 数少ない味方である女子生徒には、クリームも表情は柔らかい。
 しかし、彼女は軍に入るまで持つだろうか。もちろん、クリーム自身は何があろうと
軍で出世するしかない。マーニャにどんな理由があるかは知らないが、自分の妨げにな
るようなら、切り捨てなければならない。冷酷なようではあるが、そうしなければこの
ヘルマンでは生きてはいけない。
「マーニャ――あなた、どうして軍に入ろうと思ったの?」
 クリームは、少ない荷物の片付けがてら、マーニャに訊ねてみる。
「私の家、代々軍人家系なのよ。あなたも、あのバルジ・ガンブレード将軍の血縁なん
でしょう?」
「ええ」
 クリームは苦笑する。どこへ行っても、バルジ・ガノブレードの名は付いて回るのだ
な、と。
「私、一人娘なんだけど――父は男の子が欲しかったらしくて、あまり私のこと構って
くれなかった。第三軍の参謀の一人だったから、仕事が忙しかったのもあるけど、何と
なく態度でわかったわ。
 二年前、母が死んでからは、父はますます軍の仕事にかかりっきりになって、家にも
あまり帰らなくなった。私はずっと、祖父と二人で暮らしてた。
 その祖父も、先月、病気で死んだわ。家にいても、私は一人きり――それなら、せめ
て父さんに、私の方を見ていてもらいたいから……」
 話すマーニャの目は、雫が流れ落ちそうなほどに潤んでいた。
「……あなたはまだ幸せかもね」
 クリームは、マーニャのそれに気付かない振りをして、自分の話を始める。
「確かに私の祖父はバルジ・ガノブレードっていう、有名な将軍だったかもしれない。
でも、同時に私は、エレゲン・ガノブレードという名も背負わなければならないのよ」
 マーニャが、少し驚いたような表情で顔を上げる。
「知っているでしょう? 敵前逃亡の臆病者――粛正なんて、三十年ぶりのことらしい
わ。おかげで、祖父は名声以上の恥を背負って死んだ。年金も止められ、葬式に顔を出
したのは、古くからの友人が数人だけ。普通、将軍クラスなら、軍の重鎮が顔を並べる
ものでしょう?」
 そこでクリームは、個人的に出席してくれたレリューコフの、別れを惜しむ表情を思
い出した。
「私は、自分自身でその恥を雪がなければならないわ。それに、戦場で死んだ兄のため
に、家で待っている母の生活のためにも、私は軍で伸し上がるしかないのよ」
 それを聞いて、結局、マーニャは涙せざるをえなかった。
 それだけでなく、マーニャはクリームの手を取り、涙目のまま、こうまで言った。
「頑張ろうね。一緒に軍に入って、強く生きていこうね」
 クリームは、苦笑混じりに頷くしかなかった。


 軍事学校の最初の一年は、瞬く間に過ぎた。
 クリームの同期の女子候補生は、誰一人脱落することなく、全員が優秀な成績で進級
した。特にクリームは、戦略・戦術シミュレーションでは常勝無敗、理論においても他
者の追随を許さなかった。剣術や体力訓練は苦手ではあったけれど。
 それは、彼女ら八人の固い結束と、陰ながらバインドの保護があったからである。ク
ラウストらがちょっかいを出しながらも、それ以上の行動に出なかったのも、バインド
が常にクラウストを牽制していたからであった。
 しかし、彼女らを取り巻く環境は、常に注意が必要であった。さりげなく味方をして
くれる者はいたが、バインドのように堂々と味方してくれる者は、同学年にはいなかっ
た。上級生には何人かバインドのような人物はいたが、それ以上にクラウストのような
輩は多かった。
 それに、今年はクラウストが三回生となる。成績は最低クラス、剣は剣術とは言えな
い力任せの攻撃、体力だけは有り余っているが訓練をサボるなどいつものこと――そん
な男が軍事学校で無事(!)二年を過ごしたのも、偏に「レリューコフ将軍の甥っ子」
という立場を大いに生かしたためであろう。もちろん、こんなことをレリューコフ将軍
が知れば、クラウストは即座に退学、下手をすればそのまま「性根を鍛えなおす」ため
に、前線に送られかねなかった。そのような事態を招かないための権力操作だけは、ク
ラウストも自然に身に付けていた。もしクラウストが中央の貴族社交界にいたなら、現
宰相のステッセルと権力闘争に明け暮れているだろう。
「よお、クリームちゃん」
 始業式のその日、式終了を待っていたかのように、クラウストが声をかけてきた。
「今年も一年、よろしく頼まぁ」
 クリームは思わず身構えたが、意外なことに、クラウストはいつものイヤらしい笑み
を浮かべただけで、取り巻きと共に去っていった。
 いつもならしつこく言い寄ってくるクラウストが、今日に限って声をかけただけで去
っていくとは、何か企んでいるようにしか、クリームには考えられなかった。
 そして、その推測は、最悪の形で的中する。
 寮が二回生の寮に変わり、去年に引き続きマーニャと同じ部屋で、クリームはこの一
年を過ごすことになっている。
 今日は午前中の式のみで、午後は寮で荷物の整理をするため、クリームは早々に部屋
に引き上げた。
 マーニャはまだ戻ってきていなかった。彼女もまだ荷物を全部整理してはいないのだ
から、すぐに戻ってくるだろう――クリームは考えて、自分の荷物の整理を始めた。
 しかし、マーニャは夕方になっても戻ってこない。式の後、用があるからといって別
れたときには、すぐに戻るような口振りだったのだが――
 探しにいこうと思って、クリームが席を立ったその時、部屋の扉が開いた。
「!」
 マーニャの顔に一瞬、クリームは安堵したが、改めて見たその姿は――服は破られ、
土の汚れ、埃、そして髪や服に付着した白い粘液、腿の内側を伝う赤い筋――そして、
彼女の呆然とした表情。
「マーニャ!」
 倒れこむように部屋に入ってきたマーニャを、クリームが抱き止める。
「マーニャ、どうしたの! しっかり!」
 そのまま気絶したマーニャを、クリームは介抱しつつ、何があったのかを推測した。
そして、一瞬で結論は導きだされる。
「クラウスト……!」
 粘液を拭い、身体を湿らせたタオルできれいに拭いて、傷の手当て、そして着替えさ
せて、マーニャをベッドへ寝かせる。
 あの笑みはこういう意味だったのか――クリームは歯噛みして思う。
 しかし、なぜ自分を狙わずにマーニャを狙ったのか? バインドがいなくなった今、
クラウストを阻む者は誰もいないはず。
 『将を射んと欲っせば、まず馬を射よ』――そんな言葉が脳裏をよぎった。自分が将
でマーニャが馬、という例えは自賛が過ぎるにしても、遠回しに自分を狙ってのことで
あるのだろうか。が、もしマーニャを狙ってのことであれば――それは、自分たち八人
全員を狙ってのことだろうか?
 「自分の番を楽しみに待ってな」――あれは、そういう笑みだったのだろうか?
 だとすれば、いずれクリームにも、そして後の六人にも、クラウストは手を出してく
る。それは推測ではなく、ほぼ確信に近かった。
 だが、クリームは、それに確信を持っても、恐怖したりはしなかった。むしろ、どう
いった方法でクラウストを陥れて反撃するか――それを考え始めたのは、やはり血筋な
のであろうか。


 クリームの予想は、最悪の形で的中した。
 二ヵ月の間に、クリーム以外の七人は、クラウストに何らかの形で暴行を受け、すで
に三人がそれに耐えかねて、中退していった。
 クリームは、自分がいつターゲットにされるかと思うと、眠れない毎日であったが、
クラウスト達に対抗する手段だけは常に考え、用意は怠らなかった。
 しかしクラウストは、思わぬ部分からの攻撃をクリームに仕掛けてきた。
 もしもそれがリーザスへの侵攻戦に使われ成功していれば、クラウストは知将として
の名声を得、クリームも一目置いていたかもしれない。しかしクラウストは、それを戦
に利用することはなく、己の欲望を満たす目的にのみしか使用しなかった。
 ある日クリームは、今は使われていない自治会室で、残った同学年の女子生徒四人と
会っていた。
 これ自体は何ら珍しいことではなく、ここに残る意志があるかぎり、自己防衛の手段
を考える場として、彼女等が行なってきた集まりである。
 しかし、二年目になってからはまだ二回目の集まりであり、そして、明らかに場の雰
囲気は、何かを話し合うというものではなかった。
「クリーム」
 サスティナ・バルバロッサが、まず口火を切った。
「……信じたくはないけど、こんな噂を聞いたわ」
 サスティナは、クリームのような知将タイプではないが、肉体的に勝る男たちに技で
対抗してきた、剣士タイプであった。しかし、それでいて戦術理論やシミュレーション
でも優秀な成績を上げ、クリームも一目置く存在であった。そしてサスティナも、理論
やシミュレーションではクリームに教わり、逆に剣術ではクリームを教えるという関係
も成り立っていた、良きライバルでもあった。
「あなたが、自分の保身のために、クラウストに私たちを売ったという噂をね」
「誰がそんな噂を流したの」
 クリームは、サスティナを正面から見据えて問い返す。
 サスティナは、クリームの視線を自ら目を伏せて躱し、
「噂よ。私はそんなことはない、と信じたいわ」
 サスティナの言い回しに、クリームは引っ掛かるものを感じた。
「……どういう意味?」
「言ったとおりの意味よ。信じたいけど――数度にわたって暴行を受けて学校を辞めて
いったフェリアスやカーシャという生徒がいるのに、目を付けられているはずなのに、
一度も何もされていないあなたがいる、ということも、また事実なのよ」
「私はそんな恥知らずな真似はしないわ」
 クリームは、疑惑の不快感を表には出さず、努めて冷静に否定した。
「……なら、どうしてあなただけ、何もされないでいるわけ?」
 明らかな疑惑の表情で、ベロニカ・アシューホフが代わって問う。ベロニカはクラウ
スト本人ではないが、その取り巻きの数人に暴行されている。それは単にクラウストの
好みではない、というだけであったのかも知れないが。
 クリームはそこで初めて、眉を顰めて答える。
「クラウストが何を考えているかなんて、私にはわからないわ」
 口ではそう言いながらも、クリームにはクラウストの目的はわかっていた。
 疑心暗鬼――仲間割れを誘おうというのだろう。今年新規に入ってきた女生徒五人も
仲間になっていたが、うち二人はすでに自主退学を余儀なくされている。人数も少なく
なって、さらに仲間割れまで起こせば、クラウストへの対抗力も弱まるだけである。
「よしてよ、仲間割れなんて」
 マーニャが視線のぶつかり合いに割って入る。
「何の証拠もないのに、仲間を疑うの?」
「そう、証拠はないわ。でも事実は、噂とはいえ、疑惑を生むのに十分なのよ」
 サスティナは静かに答える。
 残った一人、ヒルデガルド・エッシェンバッハは、黙ってそのやりとりだけを聞いて
いる。どちらが正しいのか、判断がつきかねている、というようにも見えなくもない。
「そうね……確かに、私一人だけがなにもされてないのだから、疑われても仕方ないか
もしれない」
 クリームは、サスティナとベロニカを見る。
 クラウストの計略は、すでに成功している。疑心暗鬼はすでに生まれているのだ。ク
ラウストのような輩に対抗するには、立場の弱い者同士で結束して対抗するしかないと
いうのに、そこで対立が起きていては、外部からの圧力に対抗するどころではない。
「いいわ。なら、私は一人でやるわ」
 クリームは黙って席を立つ。
「私が抜けて一人でやっていけば、あなたたちに迷惑かけることもなくなるでしょう」
「待ってよクリーム」
 マーニャがクリームの手を取る。
「ここであなたに抜けられたら、私たち、どうやってクラウストから身を守ればいいの
よ」
「よしなさい、マーニャ」
 そこで、ヒルデガルドが初めて口を開く。
「クリームがいようといまいと、私たち全員がクラウストたちの標的にされていること
は変わりないのよ。それに、私たちに出来ることは、出来るだけ一人にならないこと、
クラウストたちから離れていること、人の多いところから離れないこと、これくらいし
かないのよ。クリームがいてもいなくても、対処方法が変わるわけじゃない」
「だからって、クリームが悪いわけじゃないのよ!」
「それがはっきりしないから、こうして事実を確かめようとしてるんじゃない」
 ベロニカは、完全にクリームを疑っている。それは、クリームを含む四人にもはっき
りとわかった。
 そして、言葉を継ぐように答えるクリーム。
「――私が何も知らないと言っているのを信じてもらえない以上、私はここにいるべき
ではないし、一緒に行動するべきじゃないの」
 クリームは、マーニャの手を離して、寂しそうに微笑む。
 しかし、マーニャはクリームの手を、前にも増して強く握る。
「私は、クリームを信じている」
 マーニャの眼は、クリームの瞳を真っすぐに射抜く。
「誰が何と言おうと、私がどんな目に遭おうと、私は信じている」
 マーニャの瞳の真摯さが、クリームには熱かった。身体の芯で、凍てついて消えそう
になる意志の炎に、油が注がれていくようであった。
 真の友とは、こういう関係をいうのであろう。
「ありがとう」
 クリームの言葉に、マーニャは黙って微笑み、頷いた。


「ほぉう……」
 クラウストは、自室のソファの上で、全裸で葉巻をふかしながら、その人物の報告を
聞いていた。
「クリームについたのは、マーニャだけか。さて、いよいよここからが本番だ」
「どうなさるのです?」
 訊ね返す、「女」の声。
「明日から毎日、マーニャを囲む会を開く。どこまで耐えられるか、見物だな」
 下品な欲望に満ちた笑みを、クラウストは浮かべる。
「明日、マーニャを連れ出せ。体力訓練の後、旧校舎だ」
「わかりました」
「クリームは、完全に孤立したところで、俺が頂く。女どものリーダー格であるあいつ
を姦っちまえば、あとの連中は簡単に言いなりになる。つまらん訓練生活も一層楽しく
なろうってもんだ」
 クラウストの前の「彼女」は、クラウストの言葉を、そして背後の狂宴を、顔色一つ
変えずに聞き流していた。彼女の背後では、まだ手の付けられていなかった一年生のプ
プル・アルストリアが、クラウストの取り巻き三人から責めを受けていた。長い栗色の
髪や艶やかな白皙の肌には、あちこちにべっとりと白濁した粘液がこびりつき、それは
今も増え続けている。彼女の胎内や直腸や口腔は、待っている三人を含めた六人の同じ
液体を、すでに二巡以上注ぎ込まれていた。最初は抵抗していたププルも、今では意味
不明の言葉を呟きながら虚ろな表情を浮かべているだけで、前後同時挿入すら彼女には
刺激となってはいなかった。
「ふん……壊れたか。まあいい、お前のような反応を期待する方が間違っている」
 クラウストは、目の前の女の手を掴み、跪かせる。
「舐めろ」
「失礼いたします」
 女は、クラウストの股間に垂れ下る物体を指で刺激して、起き上がってきたところで
唇の中に収める。
「おう、上手くなったな……最初は嫌がっていたのが信じられんな。先天的な淫乱だ」
 クラウストは、自分の分身に奉仕する女を見下ろして、頭を押さえる。
「なあ、ヒルダ」
 ヒルダ――ヒルデガルド・エッシェンバッハは返答の替わりに、クラウストの肉竿を
喉の奥まで飲み込み、根元の袋を玩ぶ。
「う、おう、いいぞ、もっとだ――」
 ヒルダは、そこで一度クラウストのモノを吐き出す。
「どうした、止めるな」
「いえ、今度はこうして――」
 ヒルダは、豊満な胸で、クラウストのそそり立つモノを挿み、こすりながら、その先
端を銜える。
「うほ、ほほ、こいつはまた――くそ、この淫乱め、もっとやれ!」
 クラウストはヒルダの与える快楽を貪り、のめり込んでいく。
 ――もっと酔い痴れなさい、馬鹿な男たち。
 間抜け面を仰け反らせて、クラウストが絶頂を迎える。
 肉竿の吐き出す白濁液を顔に浴びながら、ヒルダは冷静に考える。
 ――男なんて、私に利用されるためだけにいるのよ。せいぜい、今のうちによがって
いなさい。いずれ、皆私の足元に平伏させてあげるわ……!


 それにクリームが気付いたのは、数日後のことだった。
 最初は、マーニャの様子が怯えているようである、ということに気付いただけであっ
た。しかし、それならば以前からのことであり、ほぼ常にクリームの傍らにいるように
なっても、それはあまり変わらなかった。
 が、クリームの「勘」が、マーニャのわずかな異変を捉えていた。何かに怯えている
というより、何かに「耐えている」というように見えてきたのは、異変に気付いた二日
後のことであった。
 マーニャは「何でもない」というが、クリームは彼女の表情から、何かあったことを
確信していた。
 クリームはその日、授業が分かれる体力訓練の後、マーニャがヒルダに呼ばれるのを
目撃した。
「……ヒルダ?」
 前回の集まりで、ヒルダは中立的な立場であるように、クリームには思えた。しかし
彼女はクリームと行動を共にはしなかった。そのヒルダがマーニャに何の用だろうか、
とクリームは訝しんだ。
 こっそり二人の後を追けたクリームは、行き先がクラウストらの溜り場である、取り
壊し待ちの旧校舎であると知る。
 そこで目撃したのは――
「クラウスト!!」
 マーニャの服を脱がせようとしていたクラウストに、思わずクリームは怒鳴りつけて
いた。
「……ち、もう気付いたのかよ」
 クラウストはつまらなそうに、クリームを見る。
 そして、その怒りの表情を確認すると、いやらしい笑みを浮かべた。
「まぁいい。ゲームは終わりだ」
 クラウストに向かって走ろうとしたクリームの脚を、取り巻きの一人が引っ掛けた。
床に倒れたクリームを、二人の男が取り押さえる。
「おい、おめえはもう帰っていいぞ」
 クラウストは、マーニャに、顎で出口を指す。
「とっとと帰りな。でねえと、お前も一緒に姦っちまうぞ」
 いいながら、クラウストはクリームの服を背中から引き裂いた。
「おっと、わめくんじゃねえ」
 クリームの叫びは、一瞬で詰め込まれた雑巾によって止められた。
「もう少しお前を追い詰めてから、姦っちまいたかったんだがな。気付かれたんじゃ仕
方ねえ」
 押さえていた二人が、クリームをしっかりと捕らえたまま、起き上がらせる。
「それに、俺も少々待ちくたびれた。ヒルダは、おめえが完全に孤立するまで待てと言
ったんだがな、ここまで来られたんじゃ仕方ねえよな」
 クリームの視界の端に、部屋の隅の机にもたれている女の姿が入った。
 ヒルデガルド・エッシェンバッハ。
 マーニャは、彼女に連れられてここへ来た。そして今、クラウストは、マーニャを巻
き込んだ何かしらの計画に、ヒルダの関与をほのめかしていた。
「正直、あなたはもう少し頭のいい娘だと思ってたけど……そうでもなかったようね」
 ヒルダは、睨むクリームの視線を受けても臆することなく、平然と話す。
「裏切り者、とでも言いたげな眼ね」
 笑みすら湛えて、ヒルダは続ける。
「バインド先輩がいたときは良かったわ。私も、クラウストなんかと協力するなんて、
考えるのも嫌――そう思ってきたわ」
「はっきり言うじゃねえか」
 クラウストが苦笑する。ヒルダはそれには構わず、クリームの前に来る。
「でもねえ、クリーム。世の中は、正しい者が正しいんじゃなくて、力のある者が正し
いのよ。それがわかったとき、私は女同士の協力なんて、虚しいものだと思ったわ。結
局のところ、誰もクラウストの被害を防げなかった。力のない者同士がくっついたとこ
ろで、力のある者には勝てないのよ。
 だったら、将来軍で伸し上がるためにも、力のある者と組んだ方が、現実的じゃない
かしら?」
 クリームは答えない。いや、雑巾が妨げになって、答えられない。
 しかし、その眼が、ヒルダには答えとなって見えた。
「潔癖性は、現実の世界では長生きできないかもよ」
 一瞬の哀しげな眼を最後に、ヒルダは、クリームに背を向ける。
「さあ、ショーの始まりだ」
 代わりに、クラウストがクリームの胸元に手を掛けた。
「ずっとよ、おめえをこうする日を待ってたんだぜ。他の連中は添え物だ」
 クラウストの手に、力が入る。その口が、さっきからだらしなく笑っている。
「おめえさえ姦れりゃあよ、他の女なんぞいらねえ。その澄ました面ァ、今から泣きっ
面に変えてやるぜ」
 引き裂かれる音が、部屋に谺する。
 ヒルダがその一瞬、目を伏せた。

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