序章
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終章
5.第二軍時代・別れ
その数日後、深夜。
砦を揺るがす大音響と震動に、クリームらは叩き起こされた。
「何事なの?」
急いで着替えて、走る兵士の一人を捕まえると、驚くべき返答が示された。
「ま、魔物の襲撃です! 魔物が、砦に侵入しました!」
「なんですって!?」
「防戦に当たってはいますが、すでにかなりの数が侵入したものと――」
「なんてこと! 見張りは何をしていたの!」
クリームは、マーニャと共に、バインドのいるはずの司令官室へと向かう。
「えらいことだ。連中、砦を力ずくで突き破ってきた」
砦の平面図を広げて、バインドは破られた地点にマーカーを置く。
「全軍を防戦に当たらせてはいるが、砦内部での戦闘は予想外だ。連中、魔法部隊を投
入してきている。それで壁が破られたんだ」
「魔法部隊か……!」
砦には、魔法使いはいるにはいるが、一部隊に一人か二人。
それ以前に、魔法使いが軽視されるヘルマンには、魔法部隊が非常に少ない。それも
主に首都の防衛に当たっていて、辺境警備にはほとんど配備されていないのが現状であ
る。
「装甲兵団は?」
「準備中だ。すぐに動けたのは、見張りと夜勤の軽装兵士だけだ。準備が出来るまで、
それで凌ぐしかない」
「チ……最悪に近いわね」
クリームは、平面図を見ながら、対策を考える。
魔物の一軍は、砦一階から侵入。兵士を押しながら、左右と上へ展開中。ただし、魔
法部隊は弓兵の射程距離外で待機している模様。
「熱した油を用意させて。上へ来た連中を下へ追いやるのよ」
報告に来た兵士に、クリームは指示を出す。
「よろしいですね、司令官」
事後承諾ながら、バインドもそれ以上の対策があるわけではない。
了承と同時に、重装甲兵団の準備を急がせる。
「魔法部隊が入ってきていないのは好都合だわ。それなら、こちらでも対応できる」
クリームは、砦に展開している敵部隊の位置を確認しながら、それらを誘導するよう
に、一ヶ所に集める。
「油の用意は?」
「完了しています」
報告に来た兵士に頷き、クリームは上着を取る。
「私も行きます」
「待て、俺が行く。君ではいざというとき、前線で戦うには力不足だ」
剣を手にしたバインドに、クリームは微笑みで応える。
「油を流すタイミングは、私が直接指示しなければ、最大の効果は得られません。指揮
官殿は、本官の作戦終了後の、装甲兵団の指揮を執って頂かなくてはなりません」
敬礼を施し、クリームは司令室を出る。
「……マーニャ、ここの指揮を頼む」
バインドの言葉に、驚くマーニャ。
「わ、私がですか?」
「報告に合わせて、マーカーを移動し、俺とクリームに報せてくれ。俺は装甲兵団の指
揮をしなくてはならない」
「――了解しました」
躊躇したものの、この状況では自分が引き受けざるを得ない、と知ったマーニャは、
敬礼と共に答える。
バインドは頷くと、剣をとって部屋を出る。
クリームは、階下から敵を誘導するように集まってきた軽装兵たちを同じ階まで導く
と、直下にわらわらと集まってきたモンスターを一掃すべく、熱油を大量に流した。
階段を上がろうとしていたモンスターはそれを頭から被り、全身を灼かれて下の魔物
の中へと落ちて行く。流されていく油は、モンスターの足を焼き、その行動力を奪う。
滑って転び、そこで火傷を負うモンスターも続出する。
それでもなお上に向ってくるモンスターを、階段を固めた兵士達が、一匹ずつ始末し
ていく。
魔物が数を減らし始め、油の効果もなくなってきた頃、装甲兵団が出動してきた。
「抜刀!」
「一匹足りとも生かして帰すな!」
バインド、そしてサスティナの部隊が、一気にモンスターを切り倒す。
その突進力は行動力の落ちた魔物では防ぎ切れるものではなく、その防御力は魔物の
歯牙も寄せつけず、その攻撃力は魔物のそれを明らかに上回っていた。
「一気に押せ!」
バインドの命令に、兵士が一気にモンスターを押し戻す。
鋼の刃が振り上げられる度に、モンスターの身体が確実に刻まれていく。
「だ、駄目だ、こいつら強えぇ!」
「殺されちまう!」
「逃げるぞ、俺ぁ!」
すでに油攻めで戦意を削がれていた魔物は、味方を肉片に変えて踏みにじり、迫る鉄
の悪魔に、完全に戦意を喪失させられていた。
「このまま砦から追い出す! 第二部隊は、砦上より矢を放て!」
第一部隊が、魔物を侵入してきた場所へと押し戻し、外へ逃す。
サスティナの第二部隊が二手に分かれ、半分は砦上へ、半分はバインドに続く。
同時にクリームの麾下は、砦内に残った魔物の掃討を開始する。
「撃てェ!」
サスティナの命令一下、荒野へと逃げ戻って行く魔物達に、矢が降り注ぐ。
奇怪な叫びを上げて、魔物達が斃れていく。
もはや向ってくる者は見当たらず、バインドとサスティナは勝利を確信した。
矢の届く範囲内に動くものはいなくなり、サスティナもバインドも、警戒は怠らぬま
でも、撃退したと感じていた。
バインドは、第一部隊を砦の外、破壊された壁の周辺で待機させ、残存部隊の掃討と
反撃に備える。
その時。
森の中から、「白い光の束」が疾った。
それが、砦の上を掠めるように伸びた。
サスティナは、それが何であるか理解する前に、光に包まれた。
そして、自分の身体が崩れ、灼けていくのを感じて、死の間際に、初めてそれが「死
の光」――〈白色破壊光線〉であると知った。
光が去った後、砦は弧を描くように削り取られていた。
数十人の兵士を、同時に彼方へ運び去って。
「迂濶な!」
アロースリットから外を窺っていたクリームが舌打ちする。
残存の魔法部隊に対して、警戒を怠った結果である。
「外に出ている全員、砦に戻して! 外にいたらまた食らうわ!」
伝令がクリームの命を受けて走る。
しかし、その司令は少しばかり遅かった。
第二波攻撃が、バインド隊を薙いでいた。
砦に穿たれた穴を拡大するように、光の柱が突き刺さる。
数十人の装甲兵が、一瞬にして蒸発する。
数十人が、致命傷を負って絶命する。
さらに数十人が、手酷い火傷を負わされる。
百数十人が、一瞬にして戦闘不能になった。
「……脆いものね……人間なんて」
森の中で呟くそれは、女の声であった。
しかし、その容貌は、魔物のそれではなく、人間のものであった。
薄暗い森から、落ちかける太陽の中へと歩み出て行く影。
魔法部隊、と思われていたのは、たった一人の女魔法使いであった。白色破壊光線ク
ラスの大破壊魔法が使えるのならば、一人でも百人の魔法兵に匹敵するのである。それ
にこのレベルの魔法使いなら、「魔人戦争」に駆り出されていて人間の相手などしてい
るはずはない。
「……暇潰しってわけでもなさそうだけど……」
クリームは、相手を視認したわけではないが、魔法の威力からそう推測した。
ともかく、今は兵士を収容するのが先決である。
次が来る前に、早く退がらせなければ。
「報告致します……!」
司令室に戻る途中のクリームの元へやってきたのは、砦の上から追撃を行なっていた
弓兵であった。
「何か」
兵士の声が心なしか震えているように聴こえるのは、間近で魔法の直撃で死んだ兵士
を見たためであろうか。
「――第二部隊弓兵隊、収容完了しました」
「わかった。魔物の侵入口の上を避けて、その左右のアロースリットへ半数づつを再配
置。反撃に備えよ」
「了解。それから、もう一つ――」
兵士は顔を伏せたままであったため、その表情は読み切れなかった。
「――先の魔法の直撃で……隊長が戦死致しました」
「隊長――サスティナが?」
それを頭が理解するまで、クリームは数秒の時間を要した。
「……わかったわ。第二部隊の指揮は、以後私が執ります。各小隊、再配置を急いで」
「は」
兵士が戻り、クリームは一人になる。
「サス……ティナが!」
震えが、急にクリームの身体を支配した。
膝に力が入らず、壁に寄り掛かる。
歯が噛み合わず、噛みしめてやっと音が止まる。
「サスティナ……サスティナが――死んだ?」
それは、一人では制しきれない、クリームが未だ感じたことのない感情の発露であっ
た。「恐怖」――そう、それは恐怖であった。盗賊と対しても、魔物と対しても、指揮
官である彼女は、その恐怖を感じることはなかった。直接の現場に立たないクリームに
は、「人が死ぬ」という感覚は縁遠いものであった。
しかし、初めて自分の直接の友人を失い、クリームは「恐怖」を感じ始めていた。
言葉の意味として、人の死は数多く耳にしてきた。が、それらに憐愍は感じても、そ
れに恐怖したりはしなかった。それは単に、知った名前がそこになかっただけであった
のかもしれない。
初めて知った名前が、この世から消滅する。ましてや、つい数時間前には、笑って話
していた相手である。
しかし、震えをしばらく耐えているうちに、クリームは、自分がそれほど悲しみを感
じていない事に気が付いた。
友人の死に、悲しんでいないわけではない。ただ、それを実感できないだけである。
が、それは戦術指揮官であるクリームにとっての幸運であった。指揮官が感情的にな
ってしまっては、配下が無駄に動かされる。それは、戦場における用兵の失敗を意味す
る。
大きく、深呼吸。
肺の中の空気が入れ換わる度に、恐怖もまた薄れていく。
再び歩き始める頃には、恐怖は完全に克服されていた。
「クリーム、無事だったのね」
マーニャが、安心した面持ちで出迎える。
「外はどう? ここだと戦況はともかく、実際どうなのかよくわからなくて……」
「……サスティナが……死んだわ」
「え?」
クリームの言葉を、マーニャは聞き逃したわけではない。
「――嘘、でしょ……?」
「さっきの魔法の一撃よ」
蒼白になっていくマーニャを放っておいて、クリームは戦術地図を見る。
砦の中の掃討は終了しつつある。逃げた魔物に対しては、追撃は行なってはいない。
敵の魔法部隊は、砦の破壊された位置からすると、砦から見える枯木の森の中にいると
推測される。
「サスティナが……死んだなんて……」
マーニャは、戦術卓の横に座り込んで、震え、瞳を潤ませている。
「マーニャ、これは戦争なのよ」
クリームは、戦術地図から眼を離さずに言った。
「戦争なら、誰かが死ぬのは覚悟しなければならないわ。例えそれが親友、そして自分
であっても。それが戦争なのよ」
その言葉を、答えぬ、いや答えられぬマーニャはどう受け止めたのか。
「報告します!」
司令室、伝令が再び現れたとき、クリームはすでに冷静に戦況を見極められるまでに
精神状態を回復させていた。
「敵魔法部隊を確認! 敵は、敵はたった一人です!」
「一人――?」
クリームが眉を顰める。
「一人ですって?」
「は、はい……それも、はっきりと確認したわけではありませんが、人間の女のようで
あります。枯木の森から、こちらに向かって……」
「女――?」
「は、はい。現在も、砦に向かって接近中ですが……まだ弓兵の射程距離には入ってお
りません」
クリームは逡巡した後、司令を伝える。
「警告を出せ。これ以上接近するようなら、攻撃すると。指揮官には、私が命令するま
で、戦端を開かぬよう伝えよ」
「了解しました!」
伝令が去ると、クリームは魔法使いマーカーを、森と砦の間、弓兵の射程距離外へ置
く。そして、床で震えているマーニャの腕を掴み、乱暴に立たせる。
「マーニャ! いつまでも震えてるわけにはいかないのよ!」
「だって――だって、サスティナが、死んだのよ……死んだのよ?」
涙顔で訴えるマーニャに、クリームは一瞬、自分も泣き崩れたい衝動に駆られる。
が、それを吹き飛ばすように、クリームは動いた。
平手が何かを叩く、鋭い音。
「マーニャ!」
頬を叩かれて倒れたマーニャの襟首を、クリームは叩いた右手で掴んで引き起こす。
「そうやって泣いていても何にもならないのは、あなたもわかっているはずよ!」
クリームの剣幕に、マーニャの鳴咽が止まる。
「泣くのは、今この状況が解決してからにしなさい。それからなら、いくらでも泣いて
いられるわ。でも、今そうしていても、もっと誰かが死ぬだけなのよ」
もっと誰かが死ぬ――その言葉に、マーニャの表情が固まる。
「……私達のするべきことは、これ以上の無駄な死者を出さないことよ」
襟首を離して、クリームは立ち上がる。
そして、マーニャに手を差し出す。
「立ちなさい、マーニャ。あなたはもう、弱くはないはずよ」
見上げるマーニャ。
唇を噛み、涙を拭い、悲しみを一時、心の奥底へ沈める。
差し出された手を、しっかりと握る。
「私は何をすればいいの?」
立ち上がったマーニャは、もう軍人の顔であった。
クリームは頷き、自分は敵を直接確認するためと、弓兵の指揮のために現場に出るか
ら、ここで戦況報告をしてくれ、と言って司令室を出る。
一階層降りて走り始めたとき、再び砦が揺れた。
「……!」
不吉な何かが、クリームを突き抜けていた。
砦に穿たれた穴が、煙を棚引かせている。
三度目の〈白色破壊光線〉が撃ち込まれたのだ。
待機していた第一部隊に被害はほとんどなかったものの、砦自体がさらに破壊されて
いる。もう一度食らえば、砦を貫通してしまうであろうと思われる。
「野郎、警告を無視しやがった」
弓兵の一人が、狙いをつける。
「待て、まだ攻撃命令は出ていないぞ」
隣の弓兵が止める。
「止まらねえんなら撃つって警告だろうが。それに、俺たちの仕事は、ああいう連中を
国に入れないことだ」
ボウガンが、歩を止めない魔法使いに狙点を定める。
その他にも、数人が同様に狙いをつける。
号令はなかったが、一人が発射すると、それに続くように、十数本が魔法使いへと収
束した。
が、魔法使いは微笑んだだけであった。
全ての矢は、〈シールド〉に阻まれ、黒い大地をわずかに抉ったにとどまった。
「無駄なことを――」
魔法使いの両腕を、〈炎のオーラ〉が包む。
その腕が左右に開かれ、目の前で交差したとき。
「《ファイヤーレーザー》」
数本の真紅の光線が、アロースリットを直撃、貫通する。
同時に、数人の弓兵が頭や胸を撃ち抜かれ、焦げた肉の匂いを残して絶命する。
「誰が勝手に撃てと言ったか!」
直後、クリームがその場へ到着する。
言い訳をする指揮官を後目に、クリームは、破壊されていないスリットから敵魔法使
いを見下ろす。
たった一人。間違いない。
どうする? たった一人とは言え、向かってくるということは、まだ魔法力に余裕が
あると考えて間違いない。それも、まだ数発は〈白色破壊光線〉クラスの魔法が使える
ものと推測できる。
それに対抗するには――
「副司令殿! 第一部隊が!」
兵士の一人が、砦の上から慌てて降りてきた。
「どうした?」
「第一部隊が、敵を包囲するように出陣して――」
「何だと――!」
穿たれた穴から、クリームは下を見る。
バインドの部隊が、左右に展開しながら、魔法使いを包囲しようとしている。
「早まったことを!」
しかし、それはクリームの戦術と相違するものではない。犠牲を覚悟で、兵士で包囲
し、肉弾戦によって屠る。あのクラスの魔法使いを相手にするのなら、それは最も有効
な戦術であった。
しかし、クリームは別の手段を講じるつもりであった。最終的にはその手段を使用す
ることになったかも知れないが、それ以前にいくらか策を弄しておけば、犠牲を少なく
出来たかも知れないのだ。
「全弓兵、敵魔法使いへ向けて一度だけ斉射! 地上部隊を援護せよ!」
咄嗟にクリームは司令を飛ばし、魔法使いを牽制する。
同時に、自分は上へと走っていく。戦場が見渡せる位置で、有効な手段を考えるため
である。
矢が魔法使いへ降り注ぐ中、バインドの指揮下、包囲が完成する。
「……どういうつもりか知らないが、もう逃げられまい」
バインドは、この女をどこかで見たように思いながら、包囲網を狭めていく。
それに気付いたのか、魔法使いは、微笑みを浮かべて、こう言った。
「お久し振りですね、バインド先輩」
「……何?」
その言葉に驚いたのは、バインドだけではない。
司令官の知り合い?
その事実が、全兵士の行動を抑制した。
「私のことは覚えていらっしゃらないかもしれませんが……軍事学校で、一年だけ一緒
になった、ヒルデガルド・エッシェンバッハです」
「ヒルデガルド――クリームたちの同期か?」
「クリーム」という単語に、ヒルダは僅かに目を細めた。
「ええ」
ローブのフードを下ろすと、バインドは記憶の片隅にあった、クリームやサスティナ
と一緒にあった顔と、目の前の彼女とを合致させた。
「……そうだ。確かにいた。ヒルダ、と呼ばれていたな」
「覚えていて下さって、光栄ですわ」
微笑むヒルダに、バインドは問わずにはいられない。
「なぜだ」
「私がここにこうして、人間の敵でいることですか?」
バインドの表情から、ヒルダはその質問を読み取り、そして答える。
「私は、友を、仲間を売りました。その時から、私はもう、人間であることに見切りを
つけたのです。ですから、今更人間の敵となったところで、何の痛痒もありません」
「――何があったんだ?」
ヒルダにも、何か考えを変えるような出来事があったことは、バインドにも分かる。
「私は、先輩が卒業した翌年、仲間であった女子生徒を、クラウストに売りました。自
分だけは、どうしても軍に入る必要があったからです。もちろん、私が売った彼女らも
それは同様だったと思います。
私と彼女らの違いは、何だったと思いますか?」
バインドは答えない。いや、それ以前に、淡々と話しているはずのヒルダの表情に、
無意識の悲しみが浮かんでいることに気付き、問いかけることがためらわれた。
「ちょっとした覚悟ですよ。どうしても軍で伸し上がりたいのなら、自分の身体を武器
にしてでも伸し上がる。それくらいのことが、彼女らには出来なかった。ただ、それだ
けのことです。
でも、結局、こうして魔物の仲間にまでならざるを得なかったのは、私の方でした」
ヒルダの微笑みに、悲しみと悔恨が明らかに宿る。
「もう一度やり直せるなら、やり直したかった。でも、ここまで来てしまっては、もう
後戻りは出来ないんです」
バインドが、「それ」に気付く。
透明な悔恨が、双眸より流れ、落ちていく。
哀しげなその表情に、バインドは「別離」を感じたような気がした。
「バインド先輩、あなたに出会えたのなら、伝言を頼みたかったのですが……そうもい
かないようですね」
ヒルダの身体が、緑のオーラを纏う。
「! 退避!」
バインドが叫ぶ。
一瞬遅れて、下がる装甲兵たち。
発動の一瞬を、言葉に紡ぐヒルダ。
「《緑色破砕光弾》」
無数の緑の〈光弾〉が、ヒルダの全身から撒き散らされる。
その一発一発は、大した威力ではない。
装甲にも、それは細かい窪みを作ったが、貫くまでには至らなかった。
が、その密度は、兵士達の装甲の隙間から、肉体を直撃するのには十分であった。
そして〈光弾〉は、装甲を貫く威力はなくとも、肉や骨を貫く力は持っていた。
足首、肘、肩口、そして顔に、細かい穴が穿たれる。
瞬時に十数人が死亡、数十人が行動不能となった。
バインドの右目に緑の光がアップになった直後、彼の視界の右半分がブラックアウト
した。そして、急激な頭痛。身体や顔にも針で刺したような痛みが続いて増えていくの
を感じながら、彼は黒い大地の上に斃れていた。
身体を動かそうとしたが、バインドは考えることが出来なかった。自分が何をすべき
か考えるためには、彼には血が足りなかった。
数度、それを試みるかのように身体を痙攣させた後、バインドは静かになった。
「肉弾戦なら勝てる――それは正しいわ。でも、それは私が魔法使いでなければ、の話
ね」
〈緑色破砕光弾〉が、再度ヒルダを中心に第一部隊を襲う。
斃れる兵士たち。
動く者は、確実に減らされている。
もう動かない者にも、緑の雨は降り注ぐ。
「バインド先輩!」
思わず叫んだクリームの声が、微かにヒルダの耳朶を打った。
砦を見上げるヒルダ。
そして、見下ろすクリーム。
「……まさか……」
ヒルダは考える。
もし、ここに彼女がいるのなら、是が非でも逢わねばならない。
目の前で斃れたバインドに伝言は託せなかったが、自分で告げられるのなら、それが
いい。
ヒルダの足が、彼女を再び砦へと運ぶ。
屍を踏み越え、進むヒルダに、道を開けてしまう装甲兵団。
「何をしている!」
舌打ちして、クリームは弓兵に召集をかける。
こうなれば、砦内部で迎撃するしかない。幸いと言うか、砦内なら、不意打ちの場所
には事欠かない。残った兵士を三人から五人程度で組ませ、砦のあちこちに潜ませ、不
意打ちで仕留めさせるしかない。それも、彼女が大破壊魔法を使うまでに。
「マーニャ、あなたも装備だけは着けて」
司令室へ戻り、クリームは自分も軽装の鎧を装備する。
「魔法使いに侵入されたの。今から全員で迎撃に当たるわ」
クリームの手伝いをしながら、マーニャは小窓から見ていた状況を思い出す。
「ねえ、クリーム、ちょっと気になったんだけど……」
「なに?」
「さっき、第一部隊、何かあの魔法使いと話してなかった?」
「……そうみたいだけど、遠くて何を話していたかなんてわからないわ」
「それに……あの魔法使い、よくわからないけど、どこかで逢ったような気がする」
マーニャの言葉に訝しむクリーム。
しかし、クリームは本の読みすぎで眼鏡がないとよく見えないが、マーニャは同じ距
離でも、髪の色ぐらいは簡単に区別がつくし、何となく顔の造作も見える。
「それに、魔法の不意打ちを食らうような内容の話だったのかしら」
「人間みたいだから、油断したんでしょうよ」
バインドが油断したとは思いたくない。しかし、もしバインドが油断したというのな
ら、あの相手は誰なのか? それとも、油断させるような事実があったのか?
クリームは焦りを感じていた。倒れた装甲兵の中に、バインドはいるのか? 生きて
いるのか? それを確認するには、少なくとも目前の敵であるあの魔法使いを倒さねば
ならない。
「報告します!」
そこへ伝令が、マーニャの疑惑を裏付けるような事実を運んできた。
「敵魔法使いが、副司令殿に面会を求めています」
「……私に?」
「は、はい。迎撃にあたった兵士が、複数確認しております」
「……なぜ私とわかる?」
「それが――」
伝令は、さらに衝撃的な事実を伝える。
「名指しで呼んでおりまして。クリーム・ガノブレードがいるのなら話しがある、と」
「私を?」
どういうことだ? 自分を知っている誰かが、魔物の仲間にいるというのか?
逡巡したが、クリームは伝令に伝える。
「砦の外へ出るのなら、私が直々に面会に応じると伝えろ。すぐに行く」
「は!」
伝令が去ると、クリームはマーニャにも鎧を着けさせて、共に司令室を出た。
マーニャの勘が正しければ、あれはクリームも、マーニャも知っている誰か、という
ことになる。
ならば、二人で確認しなければならない、とクリームは考えた。
降りて行く途中にも、そこここで兵士が斃れている。臨戦態勢である兵士たちは、仲
間の遺体を葬るどころか、目を閉じてやる暇もない。
私の知り合いに、そこまで出来る人間がいたのだろうか――クリームの記憶には、そ
んな人物は浮かんではこない。それはマーニャも同様である。
しかし。
砦の外で対面した魔法使いに、クリームも、マーニャも、驚きを禁じ得なかった。
「何年ぶりかしら」
ヒルダは、微笑みながら二人を見る。
クリームは、軍事学校の時より、ずっと自信に溢れている。希望通り、その頭脳を生
かして、確実にその地位を固めているようだ。
マーニャは、軍人にはなったものの、あまり自信のなさそうな、不安そうな表情は変
わってないように見える。しかし、そこにも軍人らしさは確実に織り重ねられている。
「……あなたが人間の敵に回っていたなんて、ね……」
ヒルダとは、ほぼ四年ぶりであろうか。クラウストの一件以来姿を消したのは知って
いたが、まさか魔族として人間の敵になっていようとは、誰が予想しただろうか。
「色々あったわ。あなたもそうでしょうけど、私もね」
寂しげな表情を、ヒルダは作る。
「――私に話があるんでしょう?」
クリームは、昔話をする気にはなれなかった。ヒルダとの思い出は、辛く、苦いもの
しか残っていなかったから。
寂しげな表情を保ったまま、ヒルダは口を開く。
「そうね――その前に、私と闘ってもらうわ」
ローブを跳ね上げるように、ヒルダの右手が横に上がる。
クリームとマーニャの背後に控えていた兵士が、一斉に剣と弓を構える。
それを、無言で制するクリーム。
「あなた一人では不公平ね……マーニャ、あなたも一緒にかかっていらっしゃい」
ヒルダは、クリームの隣に控えた、かつての友を見て言う。
それで公平とは言い難いが、一人では出来ないことが二人では出来る。
それに二人でなら、バインドとサスティナに鍛えられ、並以上の戦士でも十分に相手
に出来る。
しかし、それが通用するのは一度だけ――二人は、そう自然に考えた。
クリームが剣を抜く。
その前に、マーニャが一歩出る。
「あなたがまず相手? いいわ、いらっしゃい」
ヒルダは、マーニャが一人で自分の相手をするものと思ったようである。
剣が、ヒルダの前に掲げられる。
マーニャの右足が下がる。それは、クリームが右から行くように、との合図である。
クリームが、マーニャの背後から、右へと僅かに回り込む。
ヒルダの手が、胸の前に上げられる。
それが光を帯びたその瞬間、マーニャが疾った。
一瞬後、クリームがそれに重なるように続く。
だが、ヒルダはマーニャを見てはいなかった。
マーニャの影から一撃加えるつもりであろうクリームを、しっかりと凝視していた。
読まれていた――左へ飛んだマーニャも、クリームも、そう思った。
しかし、二人の動きはもう止められない。
打ち込まれたマーニャの剣は、〈シールド〉に阻まれている。
おそらく、突き出されたクリームの剣も、同様の結果が待っているはず――
であった。
その切先は、阻むはずの障壁の抵抗を一切感じることなく、クリームが当初予想した
最大の威力を以て、ヒルダに到達した。
クリームは、その手に感じられた、柔らかい塊を突き通すような手ごたえを、今でも
忘れない。突進の全体重が切先の一点にかかったため、比較的細身の刃は、容易にヒル
ダの服を、そして腹を貫いた。
その結果に驚いたのは、ヒルダではなく、クリームの方であった。
当のヒルダはといえば、口元に笑みすら浮かべ、当然の結末のようにそれを受け止め
ていた、と、その場で見守っていた兵士は、後に一様に語ったという。
「ヒルダ――」
柄を握る両手に、生温かい液体が伝わり落ちる。
クリームの目の前で、それは地面に滴る筋となる。
それが意味するものを彼女が理解したとき、ヒルダが自分を抱き寄せるように、優し
く包んでいたことに気がつく。
「……ごめん」
ヒルダは、クリームに囁くと、身体の緊張を解いた。
膝が崩れる。
クリームが支えていた剣が、傷を拡げ、更なる出血を招いた。
剣を腹から抜くように、ヒルダはゆっくりと、仰向けに倒れた。
「――ヒルダ!」
剣を投げ捨てて、クリームがヒルダを抱き起こす。
漆黒の大地を、鮮烈な紅が染めていく。
「どうして……どうして避けなかったの!」
ヒルダは、痛みに耐えながら、無理に微笑みを作り、声を振り絞る。
「避ける必要が、なかったからよ」
答える彼女の眼には、憎しみも、恨みも、悲しみも、何もなかった。
ただ一つ、深い悔恨だけが、そこにはあった。
「……あなたには、ずっと謝りたかった」
クリームの瞳を真正面から捉え、ヒルダは静かに話す。
「マーニャにも、サスティナにも、ベロニカにも、学校を辞めざるを得なかったみんな
にも――」
ヒルダの眼が、一瞬苦痛を見せる。
「しゃべらないで」
「あたしは」
止めようとするクリームの手を握り、ヒルダは、軍事学校時代の、仲間だった頃の顔
で続ける。
「あたしは、あなたたちを売った。そして、未来を手に入れたはずだった。でも、手に
入ったのは絶望だけだった――」
「もういい」
クリームが、ヒルダの手を握り返す。
「私は、あなたが戻ってくるんだったら、黙って迎えるつもりだった。あなたにはあな
たの選択があった。それは、仕方のないことだと――あなたも辛かったんだろうと」
自然に流れる、ヒルダの双眸からのそれは、果して何を意味するものであったのか。
悲しみなのか、後悔なのか、それとも最後に赦されたことを知ったからだろうか。
「こんな形で、償うことなんてなかったのに……こんなにまで、苦しまなくてもよかっ
たのに……あの時、戻ってくればよかったのに!」
「ごめんね」
ヒルダは、再び呟いた。
自分の頬を濡らす、クリームの「仲間」そして「友」に対する悲しみと同情が、ヒル
ダのわだかまりを全て、流し去っていった。
「逢えなかった、みんなにも……伝えて。ごめんね、って……」
クリームは、何度も頷く。
悲しみに歪むマーニャが、ヒルダの頭を支える。
「マーニャ……」
蒼白な顔で微笑むヒルダを、マーニャは抱き締める。
「ふふ……泣き虫は直ってないのね……クリームを見習なさいな」
ヒルダの声から、徐々に力が失せていくのが分かる。
その見習うべきクリームも、眼の前が歪むのを止められなかった。
「さて……もう行かなくちゃ……」
ヒルダは、二人の手の中で、静かに眼を閉じる。
「今度は……死なせた人達に……謝りに行ってく……」
声が途切れていく。
「ヒルダ?」
唇だけが、声を伴わずに動き続ける。
『さ』
『よ』
『な』
『ら』
やがて、それすらも、力を失っていく。
「ヒルダ――ヒルダ! ヒルダ!!」
叫び、呼び掛け、揺さぶるマーニャ。
叫びたいのを、クリームはぐっと歯を噛みしめて耐える。
「ヒルダ、しっかりしてよ! ヒルダ!」
しかし、彼女は応えなかった。
力を失った肉体は、どれだけ呼び掛けようと、揺さぶろうと、再び目覚めることはな
かった。
「ヒルダァ――――――――――――――ッ!!」
マーニャの絶叫だけが、黒い荒野に谺していた。
兵士達も、剣を下ろし、やりきれない気持ちでそれを見つめていた。
その絶叫が、「彼」を呼び寄せたのだろうか。
突如、クリームとマーニャが、その場から弾き飛ばされる。
「!?」
何が起こったのか、誰も理解できなかった。
ヒルダの身体が、その場で宙に浮かんでいた。
彼女を、球形の何かが包んでいた。
「彼女は、返して頂きますよ」
上空から、それは聴こえてきた。
振り仰いだ全員が、そこに、異形の何かを見た。
人間のようではあるが、両側に角のようなものが突き出した頭、異様に巨大な手。
「彼女はもう、我々の仲間なのですから」
音もなく、地上に降り立ったその人物――いや、人ではない。
「何者!」
剣を、弓を構える兵士たち。
「愚問ですね。ここは我々の大地。その大地で、人間が何をしているのです?」
「彼」は、その腕にヒルダを抱き上げて、見下すような視線を人間たちに向ける。
「……あなたが、クリーム・ガノブレードですか」
「彼」は、クリームを一目で見抜いた。
そのクリームは、立ち上がりはしたものの、動けないでいた。
「彼」の発する威圧感に、本能的な恐怖を感じていたのだ。
「彼女は、ずっとあなたに謝りたいと言っていました。そして、その願いが叶ったので
す」
「彼」は、その気配とは裏腹に、優しい眼をヒルダに向けた。
「しかし、彼女はもう、人間とは決別した魔族の一員なのです。この魔人ジークの血を
受けた、使徒としてね」
「――魔人?」
「魔人、だと――」
兵士が騒めく。
魔人。無敵の肉体を持つ、二十四人の魔王の血の分身。魔王によって、もしくは聖刀
〈日光〉、または魔剣〈カオス〉によってしか傷つけられない、この魔物の大地におい
ても極めつけに最強なる存在。
魔王の跡目争いに奔走しているはずの魔人が、なぜここにいる?
兵士たちの身体を、緊張と恐怖が支配する。
「魔人が……なぜ人間に関わる?」
クリームが、やっとのことで、声を振り絞って問う。
それに対して、ジークは「笑った」ように、クリームには感じられた。
「さて……私は、人間の敵ではありますが――人間全ての敵ではありません」
それだけ言うと、ジークは、無言で宙へと浮び上がる。
「待て! ヒルダをどこへ連れて行く!?」
「言ったでしょう?」
怒鳴るクリームを冷ややかに見下ろし、ジークは宙より答える。
「彼女は私の使徒です。あなた方人間には渡しません」
「待て!」
震える足を無理遣り動かして、飛び去ろうとするジークを、クリームは追う。
しかし、人の足で空を飛ぶ魔人に追い付けようはずもない。
「ヒルダ!」
クリームの叫びだけが、ジークを打つ。
が、魔人を止めるには、それは無力に過ぎた。
「……もう少し、早く彼女に出会えたなら……」
腕の中の、もはや答えることのないヒルダに、ジークは囁く。
しかし、ジークには、彼女の顔が安らかであるように感じられた。
生きてクリームたちに謝るために、ヒルダはあの時人間を捨てた。
そしてヒルダは今、人としてそれを果たし、その一生を終えたのである。
「……これで……良かったのでしょう……」
魔人が空の一点となって消えていく。
脱力感に支配された人間達だけが、そこに残された。
序章
1
2
3
4
5
終章